山内神社
山内神社
山内神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 21:33 UTC 版)
山内神社 | |
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![]() 拝殿 |
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所在地 | 高知県高知市鷹匠町2-4-65 |
位置 | 北緯33度33分19.9秒 東経133度31分54.5秒 / 北緯33.555528度 東経133.531806度座標: 北緯33度33分19.9秒 東経133度31分54.5秒 / 北緯33.555528度 東経133.531806度 |
主祭神 | 土佐藩歴代藩主 |
社格等 | 旧別格官幣社 |
創建 | 昭和10年(1935年) |
例祭 | 11月10日 |
地図 |

山内神社(やまうちじんじゃ)は、高知県高知市にある神社である。土佐藩初代藩主山内一豊、同夫人、および土佐藩歴代藩主を祀る。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁などに属さない単立神社となっている。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
歴史
文化3年(1806年)、土佐藩10代藩主豊策により、初代藩主の一豊とその夫人の見性院(千代)、2代藩主忠義を祀るために高知城内に造営された藤並神社に始まる。当時、初代藩主を神として祀ることが各藩で行われていた。天保6年(1835年)、「藤並大明神」の神号が贈られた。
明治4年(1871年)、土佐藩最後(16代)の藩主で、初代藩知事となった豊範が、藤並神社の御旅所であった現在地に山内神社を創建し、3代忠豊から14代豊惇までの霊を祀った。翌明治5年(1872年)、山内神社は高知県庁に引き渡され、村社に列格した。
昭和7年(1933年)、15代豊信(容堂)・16代豊範の明治維新での功績を顕彰する神社を新たに造ることとなり、山内神社に祀られていた歴代藩主の霊を藤並神社に遷座し、新しい社殿を造営した。昭和10年(1935年)4月に竣工し、豊信・豊範を祀る「別格官幣社山内神社」として創建された。
昭和20年(1945年)、戦火により両神社とも焼失し、以降、仮宮で祭祀が行われていた。昭和45年(1970年)、社殿を再建して藤並神社を合祀し、土佐藩歴代のすべての藩主を祀る神社となった。平成2年(1990年)、高知城内にあった熊野・春日・住吉の三社を境内に遷座した。
周辺
- 旧山内家下屋敷長屋(隣接)
- 土佐山内家宝物資料館(隣接)
- 鏡川(隣接)
- 旧山内家下屋敷長屋(国の重要文化財)
- 高知市立龍馬の生まれた町記念館
関連図書
- 二六興信所編纂 山田米吉 編『勤王事蹟別格官幣社精史』二六興信所、1935年、104-107頁 。
- 井野辺茂雄『容堂公と政権返上の建白』山内神社、1940年 。
- 白井永二・土岐昌訓 編『神社辞典』東京堂出版、1979年、243頁 。
関連項目
外部リンク
- 山内神社(公式サイト)
山内神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 18:14 UTC 版)
朝日八幡神社の南東隣に鎮座している山内神社は、享保大飢饉の功労者である山内与右衛門久元を祀る神社である。神紋は九曜。 山内与右衛門は、土佐藩初代藩主山内一豊の甥(弟の子)にあたる山内久忠の曾孫である。久忠のとき松山藩に来て4代目の家督を継ぎ、忠節、潔白に励み、正徳4年(1714年)に32歳で目付役になるほどの至誠、忠実、潔白、奉仕の心を持っていたと伝えられる。 享保17年(1732年)の享保の大飢饉で松山に多くの餓死者(餓死者の数3489人)が出たとき、江戸詰めであった松山藩主松平定英は、幕府から施政不行き届きで謹慎を命じられた。主君の命により目付役の山内与右衛門は、松山へ帰して飢饉実情を報告したが、翌享保18年(1733年)5月、松平定英は心労が重なり江戸藩邸で逝去した。その後、嗣子の松平定喬が藩主を継承した際に家老となった奥平久兵衛一派により、山内与右衛門は役儀を解かれ閉門とされ、「悪心をもって藩主の心を惑わした」という罪名で、12月5日、味酒村長久寺で切腹を命じられた。しかし、山内与右衛門にこのような罪名に該当する事実はなく、家臣達の政権争いの犠牲になったものと考えられる。約8年後無実とわかり、むしろ忠臣で武士の手本として藩に認められることになる。 文化11年(1814年)、藩主松平定通は山内与右衛門の忠義を称えて山内神社を建てた。奥平久兵衛一派はその後没落し、藩から派遣された目付の手によって、流布されていた越智郡生名島で殺害された。一方、山内与右衛門の子孫は藩から40石が下され、馬廻組として復帰した。 明治43年(1910年)6月7日、神饌幣帛料供進神社となった。昭和20年(1945年)、戦災により社殿を焼失。社殿焼失の後は小さな祠で祀られていたが、平成2年(1990年)11月に再建された。 除難の神として、4月23日に大祭が行われている。 境内社として木野山神社が祀られている(山内神社拝殿に社名額が掲げられている)。
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