龍馬と藩の造船所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/17 17:02 UTC 版)
坂本龍馬の継母にあたる川島家=「下田屋」の伊興とは龍馬が姉である乙女とともに浦戸湾を船で漕ぎ、度々来訪したことで知られている。また、彼は種崎の藩の御用方中城家の離れに入り、その日のうちに、川島家の田鶴をたずねていたりもしていたという。 川島家は藩の御用廻船商人をつとめ、安政地震までこの地に所在しており、現在は空き地となっている。そこから四、五軒置いて御廻船船頭方の中城家、御船蔵大工頭の岡家などがあり、このあたりは船大工町と称され船匠・水主たちが多く住んでいたという。 慶応3年9月、龍馬はライフル銃を積み込んだ震天丸に乗り込み浦戸湾に入り、上陸したさい休憩した家といわれているのが中城家といわれている。中城家に入った龍馬は、戸田雅楽や中島作太郎を同伴しており、彼とこの家との接点は、継母である川島家の伊興を介してと思われる。詳細については、同市の郷土資料である三里史談会の会報誌や山内神社の宝物資料館・高知県立図書館の資料に詳しい。
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