龍馬との出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 14:33 UTC 版)
その後、お龍は七条新地の旅館「扇岩」で働き、母・貞は方広寺大仏殿近くの天誅組の残党を含めた土佐藩出身の尊攘派志士たちの隠れ家で賄いをするようになった。龍馬とお龍は元治元年(1864年)頃に出会っている。後年のお龍の回顧によると、龍馬と初めて会ったときに名前を聞かれて紙に書くと自分と一緒だと笑っていたという。お龍に惚れた龍馬は母・貞に、お龍を妻にしたいと申し入れ、貞も承知した。 同年6月の池田屋事件の際に、大仏でも会津藩の手入れがあって家財道具も没収されてしまった。(大仏騒動) 一家は困窮し、龍馬は「日々、食うや食わず、実に哀れな暮しであった」と述べている。これらお龍の境遇について、龍馬は姉・乙女に宛てた慶応元年9月9日付の手紙で詳しく書き送り、彼女を「まことにおもしろき女」と評している。お龍の後年の回想によると、同年8月1日に龍馬とお龍は内祝言を挙げた。
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