龍馬の進言と大政奉還とは? わかりやすく解説

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龍馬の進言と大政奉還

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:55 UTC 版)

坂本龍馬」の記事における「龍馬の進言と大政奉還」の解説

いろは丸事件談判終えた龍馬後藤象二郎慶応3年6月9日(1867年7月10日)に藩船「夕顔丸」に乗船して長崎発ち兵庫向かった京都では将軍徳川慶喜および島津久光伊達宗城松平春嶽山内容堂による四侯会議開かれており、後藤山内容堂京都呼ばれていた。龍馬は「夕顔丸」船内政治綱領後藤提示した。それは以下の八項目であった天下政権朝廷奉還セシメ、政令シク朝廷ヨリ出ヅベキ事(大政奉還上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機シク公議ニ決スベキ事(議会開設) 有材ノ公卿諸侯及ビ天下人材顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事(官制改革外国交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当規約ヲ立ツベキ事(条約改正古来律令折衷シ、新ニ無窮大典撰定スベキ事(憲法制定海軍宜ク拡張スベキ事(海軍創設御親兵ヲ置キ、帝都守衛セシムベキ事(陸軍創設金銀物貨宜シク外国平均ノ法ヲ設クベキ事(通貨政策) 以上の八項目は、長岡謙吉筆記したとされ、歴史小説などでは「船中八策」と呼ばれ、のちに成立した維新政府綱領実質的な原本となったとされてきた。しかし、江戸時代のものとは思えない文体書かれており、内容引用されたものによって食い違いあり、か龍馬によって書かれ船中八策原本は見つかっておらず、近年では船中八策創作とされる同年11月書かれ新政府綱領八策後述)の自筆本実在しており、思想主張の内容はこれをと基に遡及して作られたものとされる

※この「龍馬の進言と大政奉還」の解説は、「坂本龍馬」の解説の一部です。
「龍馬の進言と大政奉還」を含む「坂本龍馬」の記事については、「坂本龍馬」の概要を参照ください。

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