伝習隊
伝習隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:04 UTC 版)
慶応3年(1867年)1月、伝習隊創設を進める幕府の勘定奉行小栗忠順に頼み、同じく幕臣の矢野次郎、荒井郁之助、沼間守一らとともにこれに参加する。大鳥は歩兵隊長として士官教育を受け、10月23日には、歩兵頭並(佐官級)となり、幕府陸軍の育成や訓練にあたった。慶応4年(1868年)1月28日、歩兵頭に昇進。鳥羽・伏見の戦い後の江戸城における評定では小栗忠順、水野忠徳、榎本武揚らと共に交戦継続を強硬に主張する。2月28日には陸軍の最高幹部(老中1人、若年寄2人、歩兵奉行3人)である歩兵奉行(将官級)に昇進した。 しかし、江戸開城と同日の4月11日、伝習隊を率いて江戸を脱走し、本所、市川を経て、小山、宇都宮や今市、藤原、会津を松平太郎・土方歳三等と合流しつつ転戦し、母成峠の戦いで伝習隊は壊滅的な損害を受けたものの辛うじて全滅は免れ仙台に至る。仙台にて榎本武揚と合流して蝦夷地に渡り、箱館政権の陸軍奉行となる。箱館戦争では遅滞戦術を駆使し粘り強く戦ったものの、徐々に追い詰められ、明治2年(1869年)5月18日、五稜郭で降伏したのち、東京へ護送され、軍務局糺問所へ投獄された。
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