伝習隊とは? わかりやすく解説

伝習隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 07:44 UTC 版)

伝習隊(でんしゅうたい)とは、江戸幕府陸軍(幕府歩兵)編成し、フランス軍事顧問団の直接指導を受けた西洋式軍隊のこと。精鋭部隊として戊辰戦争では旧幕府軍の主力となり、隊長の大鳥圭介は箱館政権において陸軍最高位の陸軍奉行となった。


  1. ^ 星亮一『大鳥圭介』p.25-31
  2. ^ 淺川道夫『明治維新と陸軍創設』錦正社、2013年、p13


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大鳥圭介」の記事における「伝習隊」の解説

慶応3年1867年1月、伝習隊創設進め幕府勘定奉行小栗忠順頼み同じく幕臣矢野次郎荒井郁之助沼間守一とともにこれに参加する大鳥歩兵隊長として士官教育を受け、10月23日には、歩兵頭並(佐官級)となり、幕府陸軍育成訓練あたった慶応4年1868年1月28日歩兵頭に昇進鳥羽・伏見の戦い後の江戸城における評定では小栗忠順水野忠徳榎本武揚と共に交戦継続強硬に主張する2月28日には陸軍最高幹部老中1人若年寄2人歩兵奉行3人)である歩兵奉行将官級)に昇進した。 しかし、江戸開城同日4月11日、伝習隊を率いて江戸脱走し本所市川経て小山宇都宮今市藤原会津松平太郎土方歳三等と合流しつつ転戦し母成峠の戦いで伝習隊は壊滅的な損害受けたものの辛うじて全滅免れ仙台に至る。仙台にて榎本武揚合流して蝦夷地渡り箱館政権陸軍奉行となる。箱館戦争では遅滞戦術駆使し粘り強く戦ったものの、徐々に追い詰められ明治2年1869年5月18日五稜郭降伏したのち、東京へ護送され軍務局糺問所へ投獄された。

※この「伝習隊」の解説は、「大鳥圭介」の解説の一部です。
「伝習隊」を含む「大鳥圭介」の記事については、「大鳥圭介」の概要を参照ください。

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