祇園寺_(調布市)とは? わかりやすく解説

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祇園寺 (調布市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 07:59 UTC 版)

祇園寺
所在地 東京都調布市佐須町2-18-1
位置 北緯35度39分33.8秒 東経139度33分19.4秒 / 北緯35.659389度 東経139.555389度 / 35.659389; 139.555389座標: 北緯35度39分33.8秒 東経139度33分19.4秒 / 北緯35.659389度 東経139.555389度 / 35.659389; 139.555389
山号 虎狛山
院号 日光院
宗派 天台宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 天平2年(730年)または天平勝宝2年(750年
開山 満功上人
別称 佐須薬師
札所等 関東九十一薬師霊場10番札所
関東百八地蔵霊場101番札所
調布七福神(福禄寿
文化財 鉄造僧形八幡神坐像(調布市指定有形文化財)
法人番号 9012405000961
祇園寺
祇園寺 (東京都)
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祇園寺(ぎおんじ)は、東京都調布市にある天台宗寺院。山号は虎狛山。本尊は阿弥陀如来

歴史

730年天平2年)または750年天平勝宝2年)、満功上人によって開山された。満功上人は深大寺を開創したことでも知られている。当地は満功上人の生誕地でもある[1][2]

当初の宗派法相宗であったが、平安時代天台宗に転宗している。その後は寺運衰微して無住の時期も長く、その間に諸文献も失っていため、詳細な由来等は不明になっている[2]

当寺が所蔵している薬師如来像は「佐須薬師」と呼ばれている。行基作とされており、現在は秘仏となっている[1][2]

明治時代多摩地域自由民権運動の拠点になっていた。1908年(明治41年)9月12日に当寺住職だった中西悟玄が「自由民権運動殉難者慰霊大法要」を開催、自由民権運動に殉じた闘士の菩提を弔った。板垣退助も参列しており、板垣が記念植樹したのが「自由の松」である。現在、自由の松は大木となっており、「板垣死すとも自由の松はすくすくとのびている」と説明されている[1][2]

文化財

  • 鉄造僧形八幡神坐像(調布市指定有形文化財 平成7年2月23日指定)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 柴田博、相川浩子 著『武蔵野古寺巡礼(シバ巡礼シリーズ2)』シバ、1994年、34-38p
  2. ^ a b c d 虎狛山日光院祇園寺(通称:佐須薬師)天台宗東京教区
  3. ^ 指定・登録文化財一覧調布市

参考文献

  • 柴田博、相川浩子 著『武蔵野古寺巡礼(シバ巡礼シリーズ2)』シバ、1994年



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