禁裏御守衛総督とは? わかりやすく解説

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禁裏御守衛総督

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/26 07:17 UTC 版)

禁裏御守衛総督時代の徳川慶喜

禁裏御守衛総督(きんりごしゅえいそうとく)は、江戸時代末期(幕末)に幕府の了解のもと、朝廷禁裏京都御所)を警護するために設置した役職である。任命された徳川慶喜は、大坂湾周辺から侵攻してくる外国勢力に備えるため、摂海防禦指揮(せっかいぼうぎょしき)という役職にも同時に任命された。

元治元年(1864年3月25日、慶喜は将軍後見職を免ぜられると同時に禁裏御守衛総督に就任した。朝廷から任命された役職ではあるが、禁裏御守衛総督の役料として幕府より月に7500受け取る合意を得た[1]。配下に京都守護職松平容保京都所司代松平定敬らを従え、江戸の幕閣達から独立した動きをみせ、 在京幕府勢力の指導的役割を果たす存在となった。

同年5月、慶喜は摂津国沿岸を視察している。同年7月、慶喜は禁門の変において会津藩桑名藩大垣藩薩摩藩等の在京諸藩勢力の総指揮を執り、禁裏から長州藩勢力を撃退している。慶応元年 (1865年)、政務輔翼を命じられている。慶応2年(1866年)7月31日、慶喜は総督職を辞任し、徳川宗家を相続した。その際に役職としての禁裏御守衛総督は自然消滅するに至った。

脚注

  1. ^ 松浦玲 1997, p. 119.

参考文献

関連項目


禁裏御守衛総督

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徳川慶喜」の記事における「禁裏御守衛総督」の解説

参預会議解体後元治元年1864年3月25日慶喜将軍後見職辞任し朝臣的な性格を持つ禁裏御守衛総督に就任した以降慶喜京都にあって武田耕雲斎水戸藩執行部鳥取藩主池田慶徳岡山藩主池田茂政いずれも徳川斉昭の子慶喜兄弟)らと提携し幕府中央から半ば独立した勢力基盤構築していく。江戸においては盟友である政事総裁職松平直克川越藩主)と連携し朝廷意向沿って横浜鎖港引き続き推進するが、天狗党の乱への対処巡って幕閣内の対立激化し6月に直克は失脚慶喜権力拠り所としていた横浜鎖港路線事実上頓挫する。 同年7月起こった禁門の変において慶喜御所守備軍を自ら指揮し鷹司邸を占領している長州藩軍を攻撃する際は歴代徳川将軍の中で唯一戦渦真っ只中で馬にも乗らず敵と切り結んだ禁門の変機に慶喜それまで尊王攘夷派対す融和的態度放棄し会津藩桑名藩らとの提携本格化することとなる(一会桑体制)。また老中本庄宗秀阿部正外が兵を率いて上洛し、慶喜江戸へ連行しようとしたが、失敗した一方長期化していた天狗党の乱の処理を巡っては、慶喜支持していた武田耕雲斎水戸藩勢力切り捨てる冷徹さを見せた。それに続く第一次長州征伐が終わると、欧米各国強硬に要求し幕府にとり長年懸案事項であった安政五カ国条約勅許を得るため奔走した慶喜は自ら朝廷対す交渉行い最後に自身切腹とそれに続く家臣暴発にさえ言及一昼夜にわたる会議の末に遂に勅許を得ることに成功したが、京都に近い兵庫開港については勅許を得ることができず、依然懸案事項として残された。

※この「禁裏御守衛総督」の解説は、「徳川慶喜」の解説の一部です。
「禁裏御守衛総督」を含む「徳川慶喜」の記事については、「徳川慶喜」の概要を参照ください。

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