川越松平家相続と幕政への参与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 00:56 UTC 版)
「松平直克」の記事における「川越松平家相続と幕政への参与」の解説
文久元年12月6日(1862年)、川越藩6代藩主・松平直侯の婿養子となり、家督を継いだ。文久2年12月15日(1863年)に従四位下・侍従・大和守に叙位・任官する。 文久3年(1863年)10月11日、前任の松平春嶽の辞職以降空席となっていた政事総裁職に就任、親藩大名ながら幕政に参画する。文久4年(1864年)1月には、14代将軍・徳川家茂と共に上京し、朝廷および参預会議との折衝にあたった。その後は孝明天皇の意向に沿い、禁裏御守衛総督の一橋慶喜と共に横浜港の鎖港を推進、同港鎖港を名目に挙兵した天狗党の乱の鎮圧にも反対したことから、他の幕閣と激しく対立した。元治元年(1864年)6月、政争は両派共倒れの形となり、直克は政事総裁職を罷免され、以後は幕政から退いた。
※この「川越松平家相続と幕政への参与」の解説は、「松平直克」の解説の一部です。
「川越松平家相続と幕政への参与」を含む「松平直克」の記事については、「松平直克」の概要を参照ください。
- 川越松平家相続と幕政への参与のページへのリンク