清川口の戦いとは? わかりやすく解説

清川口の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 01:06 UTC 版)

清川口の戦い(きよかわぐちのたたかい)は、慶応4年(1868年)の戊辰戦争の中の一つの庄内藩と鎮撫軍の戦い・秋田戦争の戦端になった戦いである。腹巻岩の戦いとも言う。


  1. ^ 『戊申東北戦争』によれば天童藩家老吉田大八が4月1日仙台から天童に帰着すると柴橋陣代河野俊八を呼び寄せて庄内藩兵の引き揚げを指示したが、庄内藩奉行大島久弥は従わず、総督府軍に同行していた仙台藩執政三好監物が庄内へ使者を走らせたところ大島への引き継ぎを終えた高橋省助に大石田で追いつき、高橋の機転で偽の命令書を大島に届けたため4月2日庄内兵は引き揚げたという。
  2. ^ ただし幕府領800万石が静岡藩70万石に減封されるのは同年5月のことである。
  3. ^ 『戊辰東北戦争』


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