水野忠春
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 06:10 UTC 版)
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
生誕 | 寛永18年5月13日(1641年6月21日) |
死没 | 元禄5年10月15日(1692年11月22日) |
墓所 | 茨城県結城市山川新宿の水野家墓所 |
官位 | 従五位下、右衛門大夫 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番、寺社奉行、大坂城代 |
藩 | 三河岡崎藩主 |
氏族 | 水野氏 |
父母 | 父:水野忠善、母:井上正就の娘 |
妻 | 正室:梅子(前田利次の娘) |
子 | 忠直、忠盈、忠之、重富(六男) |
水野 忠春(みずの ただはる)は、江戸時代前期の大名。三河岡崎藩の第2代藩主。忠元系水野家3代。水野忠善の長男。
生涯
慶安4年(1651年)、将軍・徳川家綱に御目見し、承応3年(1654年)に任官する。延宝4年(1676年)、父・忠善の死により家督を相続する。天和元年(1681年)、奏者番兼寺社奉行に任じられ、貞享2年(1685年)まで勤めた(途中、貞享元年(1684年)には大坂城代も兼任)。元禄5年(1692年)、江戸において死去した。長男の忠直が早世していたため、跡は次男の忠盈が継いだ。
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