丹羽氏昭とは? わかりやすく解説

丹羽氏昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 08:10 UTC 版)

 
丹羽氏昭
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 天明3年7月24日1783年8月21日
死没 文政10年9月2日1827年10月22日
別名 勘助
戒名 天徳院殿松嶽現龍大居士
墓所 東京都港区西麻布の長谷寺
官位 従五位下式部少輔
幕府 江戸幕府 奏者番
主君 徳川家斉
播磨三草藩
氏族 一色丹羽氏
父母 丹羽氏福細川興文
兄弟 氏昭細川興祥、森川俊朝、
小出英武、野々山兼養、大道寺氏元、
戸田直智、伊東祐直、石合清敦、
朽木大綱正室、松平忠侯養女など
松平忠済
男、松、氏賢、氏謙、靱負之助、剛、屋津、澄、男
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丹羽 氏昭(にわ うじてる)は、江戸時代中期から後期にかけての大名播磨国三草藩4代藩主。氏次系丹羽家10代。

略歴

天明3年(1783年)7月24日、第3代藩主丹羽氏福の長男として生まれる。寛政8年(1796年)2月6日、父の隠居で家督を継ぐ。寛政10年(1798年)10月1日に将軍徳川家斉に拝謁、12月16日に叙任する。

享和元年(1801年)4月、日光祭礼奉行を命じられる。文化元年(1804年)11月19日、大番頭に就任する。文化12年1月12日、伏見奉行に就任する。文政2年8月8日、奏者番に就任する。文政10年(1827年)9月2日、父に先立って死去した。享年45。跡を長男の氏賢が継いだ。墓所は東京都港区西麻布の長谷寺。

系譜

  • 父:丹羽氏福(1762-1843)
  • 母:細川興文の娘
  • 正室:致(?-1853) - 松平忠済の娘
    • 長男:(1804-1804)
    • 長女:松(1805-1806)
    • 次男:丹羽氏賢(1811-1854)
    • 四男:靱負之助(1816-1818)
  • 側室:十代
    • 三男:丹羽氏謙(1812-1855)
  • 側室:梅
    • 次女:剛(1818-1819)
    • 三女:屋津(1823-1823)
  • 側室:国
    • 四女:澄(1826-1826)
  • 側室:槙
    • 五男:(1827-1827)




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