丹羽氏清とは? わかりやすく解説

丹羽氏清

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 15:53 UTC 版)

 
丹羽氏清
時代 戦国時代
生誕 文明17年(1485年
死没 永禄2年12月21日1560年1月18日)または7月21日
戒名 妙仙寺殿椿岩道壽庵主
墓所 長松寺(現愛知県日進市妙仙寺)
官位 若狭[1]
主君 織田信定織田信秀
氏族 一色丹羽氏
父母 父:丹羽氏興または丹羽氏員
兄弟 氏興、右京進
氏識、氏征、氏光
テンプレートを表示

丹羽 氏清(にわ うじきよ)は、戦国時代武将尾張国本郷城3代城主にして、同国岩崎城初代城主。

大永元年(1521年)に先代氏興に代わり本郷城主になる。初めは尾張本郷城に住んでいたが、天文年間に尾張・三河国双方の要害の地である岩崎の地に城を築き、移り住んだとされる。しかし、それより前の享禄2年(1529年)、三河岡崎城主・松平清康と、織田信秀の属将・荒川頼宗との間で享禄(岩崎)の戦いが岩崎城にて起こっていることが判明している。

日進市妙仙寺の丹羽一族の墓

永禄2年(1559年)、死去。享年75。

脚注

  1. ^ 『丹羽三草家譜』

出典





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「丹羽氏清」の関連用語

丹羽氏清のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



丹羽氏清のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの丹羽氏清 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS