横山の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 10:25 UTC 版)
天文20年(1551年)、岩崎城主丹羽氏清・氏識(うじさと)親子に対して、一族の藤島城(現在の日進市藤島町)主・丹羽氏秀親子が起こしたと伝えられる内部紛争。 氏秀は当時17歳であった織田信長に援軍を求め、信長軍が横山(現在の日進市岩崎町北高上付近)に差し掛かったところ、信長軍の進軍を聞きつけ待ちかまえていた岩崎丹羽軍が急襲し信長軍は敗退、氏秀親子は三河へ逃げ延びた。 この戦いは、寛政2年(1790年)3月丹羽氏福が丹羽氏の事績を著した「丹羽氏軍功録」のみに出てくる記述であり、真偽のほどは定かではない。
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