細川興祥とは? わかりやすく解説

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細川興祥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 19:33 UTC 版)

 
細川興祥
時代 江戸時代後期
生誕 天明7年5月20日1787年7月5日
死没 文政11年11月11日1828年12月17日
改名 丹羽氏充、細川興祥、細川興譲
別名 靱負之助、玄蕃
戒名 善修院天良紹真
墓所 広徳寺
常陸谷田部藩世嗣
氏族 丹羽氏谷田部細川家
父母 父∶丹羽氏福、母∶細川興文
養父∶細川興徳、養母∶光輪院親姫(細川重賢の娘)
兄弟 丹羽氏昭興祥、森川俊朝、
小出英武、野々山兼養、大道寺氏元、
戸田直智、伊東祐直、石合清敦、
朽木大綱正室、松平忠侯養女など
鉄(細川興徳の娘
長女 鐸(細川興建の妻)、二女
養子∶興民
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細川 興祥(ほそかわ おきさき)は、江戸時代後期の常陸国谷田部藩の世嗣。通称は靱負之助。

略歴

播磨国三草藩主・丹羽氏福の三男として誕生した。母は細川興文の娘。初名は氏充。正室は細川興徳の娘。

享和3年(1803年)5月13日、谷田部藩7代藩主・細川興徳の養子となる。前年、興徳の養嗣子・興昶が早世したためである。しかし、文政11年(1828年)10月16日、家督を相続することなく死亡した。42歳であった。広徳寺に葬られる。

養父・興徳は、興祥の養子・興民榊原政令の三男)を嫡孫とした。

系譜




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