細川興生とは? わかりやすく解説

細川興生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 01:42 UTC 版)

 
細川 興生
時代 江戸時代中期
生誕 元禄12年12月25日1700年2月13日[1]
死没 元文2年1月7日1737年2月6日
改名 有清→興生
別名 梅山(号)
官位 従五位下、伊豆守、山城
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
肥後宇土藩
氏族 細川氏
父母 父:細川有孝、母:坂口氏(妙持院)
正室:松平頼貞の娘・戒光院
側室:児玉氏(了心院)、竹内氏
興里、興道(次男)、興文、なを(梅寿院、京極高永正室)[2]、娘(柳沢保卓正室)
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細川 興生(ほそかわ おきなり)は、肥後国宇土藩の第3代藩主。

生涯

第2代藩主・細川有孝の長男として生まれる。元禄16年(1703年)9月6日、有孝が病を理由に隠居し、その跡を継ぐ。この時の有清であったが、後に興生と改めた。享保2年(1717年)1月、江戸町の火事の時に、一橋門の警護で功を挙げた。享保20年(1735年)11月2日、病を理由に隠居して家督を長男の興里に譲り、自らは梅山と号した。元文2年(1737年)1月7日、39歳で死去した。

系譜

父母

  • 細川有孝(父)
  • 妙持院 - 坂口氏、側室(母)

正室

側室

  • 了心院 - 児玉氏
  • 竹間氏

子女

脚注

  1. ^ 『宇土市史』臨川書店、1975年、年表11頁。
  2. ^ “よみがえる江戸の彩 日本最古の押花展”. 豊岡市立出土文化財管理センター. (2006年). http://www3.city.toyooka.lg.jp/debun/060511hana1/html/tenji04.html 




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