細川義季とは? わかりやすく解説

細川義季

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/11 11:22 UTC 版)

 
細川 義季
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 不明
別名 二郎
墓所 愛知県豊田市幸町の隣松寺
幕府 鎌倉幕府
氏族 細川氏
父母 父:広沢義実
兄弟 仁木実国、義季、戸賀崎義宗[1]
義久、上地家俊、義俊
養子:俊氏頼貞
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細川義季・俊氏・公頼及び戸崎義宗の墓(愛知県豊田市の隣松寺

細川 義季(ほそかわ よしすえ)は、鎌倉時代御家人細川氏の祖[2]

略歴

広沢義実(矢田義実)の二男[3]。兄は仁木氏の祖となった仁木実国[3][2]。弟の戸賀崎義宗は戸賀崎氏の祖となった[3][2]

上野国山田郡広沢より三河国額田郡細川に移り住み、細川二郎と称した[2][3]。時期については、足利義氏三河国守護となった頃か、その直後と推測される[4]。義季の城(館)の場所は、蓮性院の後方にある南東山上と伝わる[5]

義俊の子である孫の俊氏が義季の後継となった。

子孫の細川頼之明徳3年(1392年)に建てたと伝わる蓮性院常久寺に義季の墓がある[6]

子どもについて

子には系図上義俊他数名が確認されるが、実子は義俊のみでその他は孫である義俊の子たちや、曾孫の頼貞などを養子として迎えたとされている[7]。『新編岡崎市史』や『新編岩津町誌』では、義季の子のうち、七郎家俊が 上地 うえじ氏(上野町)の祖となったとしている[3][8]。また、義季の長男・又三郎義久の子孫は細川の地に残り、村積神社神主となり、柴田姓を名乗っている(『新編岩津町誌』)[9]

系譜

脚注

  1. ^ 姓は戸崎とも。
  2. ^ a b c d 新編岩津町誌編集委員会 1985, p. 128.
  3. ^ a b c d e 新編岡崎市史編集委員会 1993, p. 331.
  4. ^ 新編岩津町誌編集委員会 1985, pp. 128–129.
  5. ^ 新編岩津町誌編集委員会 1985, p. 129.
  6. ^ 新編岩津町誌編集委員会 1985, p. 131.
  7. ^ 『系図綜覧』[要文献特定詳細情報]
  8. ^ 新編岩津町誌編集委員会 1985, pp. 128–130.
  9. ^ 新編岩津町誌編集委員会 1985, pp. 128–131.

参考文献

  • 新編岩津町誌編集委員会 編 『新編岩津町誌』岩津地区総代連絡協議会、1985年2月1日。NDLJP:9539693 (要登録)
  • 新編岡崎市史編集委員会 編 『新編岡崎市史』 第20巻《総集編》、新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日。NDLJP:9572171 (要登録)




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