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細川利寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 10:22 UTC 版)

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細川 利寿(利壽、ほそかわ としほぎ[1] / としほき[2]1890年明治23年)10月1日[1] - 1946年昭和21年)6月18日[1][2])は、大正・昭和期の農林官僚政治家華族貴族院子爵議員

経歴

子爵細川利文細川利永の婿養子)の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1944年(昭和19年)5月15日、子爵を襲爵した[1][5]

学習院を経て、1915年(大正4年)5月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][4][6][7]1918年(大正7年)10月、高等試験行政科試験に合格[6]1919年(大正8年)農商務省に入省し山林局属に任官した[2][4][6]

以後、山林事務官特許局事務官、農商務事務官、農林事務官兼農林大臣秘書官、農林書記官外務書記官、農林省畜産局長、同蚕糸局長などを歴任し、1928年(昭和3年)に退官した[2][4][6]。その後、国策パルプ専務取締役、同常任監査役、大日本再生製紙取締役などを務めた[2][4]

1946年(昭和21年)5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[8][9]研究会に所属したが、翌月に死去した[2][10]

親族

  • 妻 細川艶(つや、毛利元功四女)[1]
  • 長男 細川利康[1]
  • 長女 伊達素子(伊達宗英夫人)[1]
  • 弟 長岡護孝(旧名・利功、長岡護美養子)[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成』下巻、479-480頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』54頁。
  3. ^ 『華族畫報』上、240頁。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 下、ホ15頁。
  5. ^ 『官報』第5199号、昭和19年5月17日。
  6. ^ a b c d 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』222頁。
  7. ^ 『東京帝国大学一覧 從大正4年 至大正5年』東京帝国大学、1916年、学士及卒業生姓名121頁。
  8. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、56頁。
  9. ^ 『官報』第5815号、昭和21年6月5日。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、54頁。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 杉謙二編『華族畫報』上、吉川弘文館、2011年(華族画報社大正2年刊の複製)。


日本の爵位
先代:
細川利文
子爵
高瀬細川家第3代
1944年 - 1946年
次代:
栄典喪失



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