細川公頼とは? わかりやすく解説

細川公頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/03 01:50 UTC 版)

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細川公頼
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 不明
改名 公頼、頼仏/景徳院(法名)
別名 八郎太郎(通称)
墓所 愛知県豊田市幸町の隣松寺
幕府 鎌倉幕府
氏族 細川氏
父母 父:細川俊氏
兄弟 公頼頼貞
和氏頼春師氏
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隣松寺 細川義季・俊氏・公頼及び戸崎義宗の墓

細川 公頼(ほそかわ きみより)は、鎌倉時代後期の御家人細川俊氏の子。細川氏3代当主。

略歴

通称は八郎太郎。後に出家して頼仏頼西刺仏の略)または、景徳院と号した。その他の事績については全く伝わっていない。父同様細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)を本拠にしたらしく、愛知県豊田市幸町の隣松寺に、曽祖父義季、父俊氏と共に墓が現存する。

公頼以降の細川氏の嫡流は、当初は和氏の系統であったが、和氏の子の清氏が失脚・討死した後は、和氏の弟・頼春の系統が嫡流となり、後の三管領細川京兆家となる。師氏の系統は有力諸家である淡路守護家となった。

系譜





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