長岡休無とは? わかりやすく解説

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長岡休無

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/16 22:23 UTC 版)

長岡 休無(ながおか きゅうむ) / 細川 忠隆(ほそかわ ただたか) / 長岡 忠隆(ながおか ただたか)は、安土桃山時代から江戸時代武将細川忠興ガラシャの間に生まれた長男。官位従四位下侍従。肥後細川家庶流細川内膳家の家祖。


注釈

  1. ^ 大坂の陣以前の一時期は細川家は長岡姓を称していた。細川姓は主家のみに許されていたため、廃嫡された後は忠隆は細川姓を名乗らず、細川別名である長岡姓で生涯を終えた。子孫の長岡内膳家当主・忠穀が明治維新後に細川姓を称した[2]
  2. ^ 忠大の父・忠煇細川護貞の次男。
  3. ^ a b 忠隆―徳(西園寺実晴室)―公満―女(久我通名室)―広幡豊忠―女(正親町実連室)―公明―実光―雅子―孝明天皇―明治天皇大正天皇崇仁親王近衞甯子―忠大

出典

  1. ^ 村川浩平『日本近世武家政権論』近代文芸社、2000年6月、28頁。ISBN 978-4-8231-0528-9 
  2. ^ 平成新修旧華族家系大成下485頁
  3. ^ 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』(吉川弘文館、2010年)409頁
  4. ^ 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』(吉川弘文館、2010年)404頁
  5. ^ 文化財紹介「【50番】和歌短冊」”. 宗教法人智恩寺. 2006年8月27日閲覧。
  6. ^ 八代市立博物館史料、林千寿ほか[要文献特定詳細情報]
  7. ^ 黒田慶一「鉄砲荷札木簡と玉造の大名屋敷-大阪女学院は小出吉政邸跡か-」『大阪の歴史』48号、1996年。 
  8. ^ 岩沢愿彦『前田利家』(新装)吉川弘文館、1988年、340-341頁。 
  9. ^ 林千寿「細川忠隆の廃嫡と忠利の後嗣」『関ヶ原合戦と九州の武将たち : 平成十年度秋季特別展覧会』八代市立博物館未来の森ミュージアム編・出版〈八代の歴史と文化 8〉、1998年10月。全国書誌番号:99062737NCID BA38635563  [要ページ番号]
  10. ^ 「細川忠隆家譜」(熊本大学(財)永青文庫および細川亙所蔵)
  11. ^ 細川純著・出版 『廃嫡後の細川忠隆(長岡休無) : 細川内膳家 肥後史料』[要文献特定詳細情報]熊本県立図書館蔵。
  12. ^ 谷口克広『織田信長家臣人名辞典 第2版』(吉川弘文館、2010年)404頁
  13. ^ 「近世初期京都能楽界動向」天野文雄、能楽研究会六麓会/長田あかね他[要文献特定詳細情報]
  14. ^ 『福岡県史 : 細川小倉藩』I-III、西日本文化協会編・出版〈近世資料編〉[要文献特定詳細情報]熊本大学永青文庫分館/川口恭子ほか
  15. ^ 綿考輯録二十五巻((財)永青文庫蔵)および内膳御家譜地(所蔵:熊本県立図書館および細川隆康)
  16. ^ 「細川忠雄家譜」『上妻文庫 117』上妻博之写・編、1939年。 [要ページ番号] 熊本県立図書館蔵。


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