中院通勝とは? わかりやすく解説

なかのいん‐みちかつ〔なかのヰン‐〕【中院通勝】

読み方:なかのいんみちかつ

[1556〜1610]安土桃山時代学者歌人。号、也足軒。法名、素然。和歌細川幽斎学び古今伝授受けた源氏物語注釈書岷江入楚(みんごうにっそ)」55巻を著した


中院通勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/28 09:57 UTC 版)

 
中院 通勝
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 弘治2年5月6日1556年6月13日
死没 慶長15年3月25日1610年5月18日
改名 松夜叉麿(幼名)→通勝
別名 号:也足軒[1]、法名:素然
官位 正三位権中納言
主君 正親町天皇後陽成天皇
氏族 中院家
父母 父:中院通為、母:三条西公条の娘[1]
兄弟 通総、岡島一吉室、白川雅朝王通勝、公厳、女子、真祐
正室:細川幽斎の養女[2]
長岡孝以、通村北畠親顕[3]仲子
花押
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中院 通勝(なかのいん みちかつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公卿歌人和学者内大臣中院通為の三男。官位正三位権中納言

経歴

天正7年(1579年)に正三位権中納言に至る。始め母方の伯父の三条西実枝に師事して歌を学んだ[1]。天正8年(1580年)には、伊予局と密通したために正親町天皇の勅勘を蒙り丹後国舞鶴に配流、細川幽斎に学んで和歌和学を極めた[1]慶長4年(1599年)に赦されて帰京した[1]

日記に『継芥記』、著書に『中院通勝集』や源氏物語の注釈書である『岷江入楚』などがある。

系譜

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e 人物略歴”. 国立国会図書館. 2022年10月29日閲覧。
  2. ^ 一色義次の娘
  3. ^ 北畠具房の養子
  4. ^ a b 中院系図.
  5. ^ 新・肥後細川藩侍帳.

参考文献

関連項目




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