北畠親顕とは? わかりやすく解説

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北畠親顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 06:26 UTC 版)

北畠 親顕(きたばたけ ちかあき、慶長8年9月28日1603年11月1日) - 寛永7年8月3日1630年9月9日))は、江戸時代初期の公家権中納言中院通勝の次男。官位正四位下参議

経歴

慶長12年(1607年従五位下叙爵。慶長17年(1612年元服して、天正10年(1582年)北畠信意(織田信雄)の織田氏への復姓後に途絶えていた北畠家の名跡を継承し、従五位上・侍従に叙任される。

慶長20年(1615年正五位下左近衛少将に叙任されると、元和5年(1619年従四位下、元和8年(1622年)従四位上・左近衛権中将、寛永3年(1626年正四位下と近衛次将を務めながら昇進。寛永4年(1627年参議に任ぜられ公卿に列した。

寛永7年(1630年)8月3日薨去享年28。親顕が嗣子なく没したため、再び北畠家は断絶した。

官歴

『諸家伝』による。

脚注

参考文献

  • 正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年



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