北畠義郎
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北畠 義郎(きたばたけ よしろう、1897年(明治30年)7月31日 - 1961年(昭和36年)1月15日[1])は、明治から昭和期にかけての華族、神職。従四位、男爵。
経歴
男爵・新田忠純の長男(庶子)として生まれた[2]。1923年明治大学法学部政治学科卒業[3]。男爵・北畠克通の養子となり、1929年に男爵を叙爵。新田神社々司を経て、北畠親房などをまつる霊山神社の宮司に就任した。
山岳をはじめ、スポーツに親しみ、明大山岳会の結成に加わる[4]と共に、明大の後輩にあたる陸上競技選手の南昇竜らを後援した。
親族
脚注
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』上巻、499頁。
- ^ 武井守成『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 明治大学 『昭和十二年十一月 明治大学一覧』 1937年、卒業生年度別(附 推薦校友)83頁
- ^ 第1期(1922-28年) 山岳部が誕生するも多難な旅立ち | 炉辺会 2025年3月27日閲覧。
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 『神道人名辞典』、神社新報社、1955年。
- 『人事興信錄』第11号 第2巻、人事興信所、1937年。
- 『登頂8000メートル: 明治大学山岳部十四座完登の軌跡』、谷山宏典、山と溪谷社、2005年。
日本の爵位 | ||
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先代 北畠克通 |
男爵 北畠家第3代 1929年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |
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