新田忠純とは? わかりやすく解説

新田忠純

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/01 16:51 UTC 版)

新田 忠純(にった ただずみ、安政3年11月18日[1]1856年12月15日) - 1931年昭和6年)1月21日[2])は、明治時代の華族貴族院男爵議員

経歴

新田俊純の次男で、幼名は岩松誠丸。俊純は交代寄合旗本で、新田氏の傍流で元は岩松氏を称していたが、南朝の忠臣の子孫のため、男爵を賜る。夫人は毛利元純五女の磯子。

大阪陸軍幼年学舎で学んだのちパリに留学した。1882年明治15年)に外務省公信局御用掛となり、1894年(明治27年)、父が没したため家督を継ぎ、男爵を襲爵した。同年4月5日に忠純と改名[3]1897年(明治30年)7月10日に貴族院議員となり[4]、1925年(大正14年)7月9日まで4期在任した[2]。1931年に76歳で没した。

栄典

親族

兄弟姉妹は武子井上馨室)、義誉ほか。子に新田義美、俊子(今村繁三室)、てい(桂与一室)、幸子(四女、松平慶民室)、北畠義郎(北畠克通養子)、義之(岩松純行養子)。

脚注

  1. ^ 『日本人名大辞典』では安政3年10月生。
  2. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』81頁。
  3. ^ 『官報』第3227号、明治27年4月6日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、8頁。
  5. ^ 『官報』第3717号「宮廷録事 - 恩賜」1925年1月15日。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
日本の爵位
先代
新田俊純
男爵
岩松新田家第2代
1894年 - 1931年
次代
新田義美




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