北畠顕泰とは? わかりやすく解説

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北畠顕泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/23 09:58 UTC 版)

北畠 顕泰(きたばたけ あきやす[2])は、南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿武将右大臣北畠顕能の二男[3]。父から伊勢国司を継ぎ、南朝方として多気を拠点に活躍したが、南北朝合一後は室町幕府に帰順した。


  1. ^ 『伊勢記』
  2. ^ 寛永諸家系図伝』は「あきひろ」と訓ずる。
  3. ^ 「北畠顕泰」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』
  4. ^ 『南方紀伝』・『南朝編年記略』
  5. ^ 『沢氏古文書』(元中4年)2月19日付北畠顕泰書状案
  6. ^ 『伊勢之巻』などによれば、顕泰は後亀山天皇へ使者を送り、講和の内容に反対する旨を諫奏したものの、天皇の容れるところとはならなかったという。
  7. ^ 『南朝編年記略』
  8. ^ 安堵された所領は伊賀名張郡・伊勢数郡・志摩英虞郡・大和宇陀郡(『南方紀伝』)。ただし、伊賀・志摩が当時の所領に含まれていたかは疑問である。
  9. ^ 旧楠町史 1978, pp. 78–79.
  10. ^ 『寛永諸家系図伝』
  11. ^ 系図纂要』は応永9年10月29日(1402年11月24日)薨、享年42とする。


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