公家大将とされる人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/31 07:27 UTC 版)
千種忠顕 - 従三位、参議。「三木一草」と呼ばれたうちの一人。 千種顕経 - 正二位権大納言。忠顕息。 四条隆資 - 従一位大納言。南朝の実務指導者 四条隆貞 - 従四位下参議。隆資の息。 四条隆俊 - 従一位内大臣。隆資の息。 四条有資 - 伊予国司・左中将。隆資の息。伊予の南朝方の指導者。 王(ショウ王、「弾正尹宮」) - 皇族。正三位弾正尹兼治部卿。 大智院宮 - 弾正尹宮・洞院実世・堀川光継らと信濃国大井城を攻める。 護良親王 - 征夷大将軍。「大塔宮」。後醍醐天皇の皇子。 興良親王 - 兵部卿。征夷大将軍。護良親王の子。 尊良親王 - 一品中務卿。新田義貞と各地を転戦。金ヶ崎の戦いで破れ、義貞の子の新田義顕ら将兵と共に自害。 宇津峰宮 - 尊良親王の子の守永親王とされる。関東、ついで奥州に下向し、多賀城を奪還。 宗良親王 - 一品中務卿。征夷大将軍。「信濃宮」として信濃や越後を拠点に活動。新田義興・北条時行とともに武蔵野合戦の緒戦に勝利、鎌倉を陥落させる。 義良親王 - のちの後村上天皇。三品親王・陸奥太守として奥州を転戦。北畠顕家と共に上洛軍を率いて鎌倉攻略。信濃宮・北条時行・新田義興・結城宗広・伊達行朝らと美濃国青野原の戦いで足利方を破る。 良成親王 - 後村上天皇の皇子。征西将軍として九州下向し転戦。 満良親王 - 「花園宮」。土佐に下向し、同地の南朝方を糾合し率いる。 懐良親王 - 一品・式部卿。「筑後宮」。征西大将軍として征西府を指導。九州を南朝の支配下に置く。 中院定平 - 従三位・大納言。能登国司。 中院定清 - 越中国司。定平息。中先代の乱に関連し、井上俊清と戦い戦死。 二条師基 - 従一位関白。 二条教基 - 関白左大臣。師基息。 洞院実世 - 従一位左大臣。 堀川光継(藤原光継) - 従二位権中納言兼信濃国司。 二条為冬 - 歌道二条派の権大納言二条為世末子。1335年(建武2年)12月12日箱根・竹ノ下の戦いで討死(佐野原神社)。 日野邦光 - 従三位権中納言。日野資朝の子。 西園寺公俊 - 権大納言。伊予西園寺氏の祖。 花山院長親 - 内大臣。花山院師賢の孫。平尾合戦に参加。 北畠親房 - 従一位准大臣。軍事指導者というより政治指導者。 北畠顕家 - 従二位権中納言兼陸奥大介鎮守府大将軍。親房の子。 北畠顕成 - 従二位内大臣。顕家息。ただし兵を率いた事例は乏しい。 北畠顕信 - 従一位右大臣。鎮守府将軍。顕家弟。 北畠守親 - 正二位大納言。陸奥国司。顕信息。 北畠顕能 - 従一位右大臣。顕家・顕信弟。末期南朝の柱石的な指導者。 北畠顕泰 - 正二位権大納言兼右近衛大将。顕能息。伊勢国司北畠家の祖。 春日顕国 - 左近衛中将、侍従。北畠親房・顕家の下で主に関東を転戦。捕縛され処刑。
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