西園寺公俊とは? わかりやすく解説

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西園寺公俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 01:56 UTC 版)

西園寺 公俊(さいおんじ きんとし)は、南北朝時代公卿武将。通説では西園寺公良の子とされるが、あるいは太政大臣西園寺公重の子か[1]伊予国に下向土着し、河野氏と提携して国衙支配を展開した。伊予西園寺氏の祖。


  1. ^ a b 西園寺源透所蔵『西園寺系図』は公俊を西園寺実衡の次男と注するが、実衡の次男は公重であり、公重と公俊を混同している可能性がある(石野)。村田正志は、公俊を公重の子と解釈している(「皇統史上の南朝」 『南北朝史論』 中央公論社、1949年)。
  2. ^ 学術的には、墓石は緑泥片岩で、石棺の蓋石を利用したものとみられる。なお、公俊の位牌は安用の善光寺にある。


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