細川利文とは? わかりやすく解説

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細川利文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 05:05 UTC 版)

細川 利文(ほそかわ としふみ、1865年9月15日慶応元年7月26日[1] - 1944年昭和19年〉3月10日[2])は、日本宮内官僚華族爵位子爵御歌所参候。

経歴

1865年〈慶応元年〉7月、後に伯爵となる園基祥羽林家)の二男として生まれる[2][3]。1889年(明治22年)8月には、熊本新田藩(高瀬藩)の藩主であった細川利永の婿養子となる形で、その長女である同子(なみこ)と結婚する[1]。なお、同子は元々子爵・戸田康泰と結婚していたが、康泰と離縁したため利文がその後釜として婚姻したものである。1901年(明治34年)4月29日には、養父である利永の死去に伴って子爵を襲爵した[1][2][4]

学習院、次いで東京専門学校で学び、後には宮内官僚に転じて常宮周宮御用掛を仰付けられ、後には御歌所参候として活躍した[3]。1944年(昭和19年)3月10日に中野区文園町の自宅で死去し[5]、爵位は長男である利寿が継いだ。

親族

脚注

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出典

  1. ^ a b c d 細川利文(『人事興信録』第4版 大正4(1915)年1月 の情報) - 日本研究のための歴史情報 - 名古屋大学 2020年11月23日閲覧
  2. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成』下巻、479頁。
  3. ^ a b c d e 細川利文 (『人事興信録』第8版 昭和3(1928)年7月 の情報) - 日本研究のための歴史情報 - 名古屋大学 2020年11月23日閲覧
  4. ^ 『官報』第5344号「敍任及辭令」明治34年4月30日(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、2コマ目)
  5. ^ 『朝日新聞』 1944年3月12日

参考文献

関連項目

日本の爵位
先代:
細川利永
子爵
高瀬細川家第2代
1901年 - 1944年
次代:
細川利寿


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