戸田康泰とは? わかりやすく解説

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戸田康泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/06 14:05 UTC 版)

戸田 康泰(とだ やすひろ、万延元年6月3日1860年7月20日) - 明治36年(1903年3月11日)は、日本外交官華族

経歴

江戸呉服橋藩邸松本藩最後の藩主松平光則の長男として生まれる。太政官布告により源姓松平氏を返上し、藤原姓戸田氏に復した。明治14年(1881年)11月、父光則の隠居により、家督を相続した。明治17年(1884年7月8日子爵となる。

明治15年(1882年)9月、オーストリア公使館在勤員外書記生となる。明治19年(1886年)、交際官試補となる。明治20年(1887年)、帰国する。明治31年(1898年)1月、式部官となる。また、明治22年(1889年三条実美らと北海道雨竜郡に華族組合農場を経営したが、4年あまりで解散した。

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』下巻、184-185頁。
  2. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、223頁。

参考文献

日本の爵位
先代
叙爵
子爵
(松本)戸田家初代
1892年 - 1903年
次代
戸田康保
当主
先代
戸田光則
戸田(松平)家
15代
1881年 - 1903年
次代
戸田康保



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