丹羽氏厚とは? わかりやすく解説

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丹羽氏厚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/22 08:20 UTC 版)

 
丹羽氏厚
丹羽氏厚
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 文久2年2月1日1862年3月1日
死没 大正9年(1920年4月6日
別名 勘次郎
戒名 高徳院殿載軒氏厚大居士
墓所 東京都台東区浅草の海雲寺
官位 正三位
氏族 一色丹羽氏
父母 父:丹羽氏中、母:朔
兄弟 男、男、氏厚、寿々、光丸、男、鏜三郎、駒、氏正
チヨ(松崎維朝の娘、上田勝行の養女)
三草子、千草子、氏郷
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丹羽 氏厚(にわ うじひろ)は、日本の華族子爵)。氏次系丹羽家13代。

略歴

文久2年(1862年)2月1日、播磨国三草藩 第6代藩主・丹羽氏中の三男として生まれる。明治4年(1871年)12月、従五位に叙任する。明治11年(1878年)2月、氏中の隠居により家督を継いだ。明治17年(1884年)7月に子爵の位を授けられ、12月、宮中祇候に任じられる。明治18年(1885年)に宮中祇候を辞め、芝離宮の吹上御宛勤番を命じられる。明治19年(1886年)2月、宮中勤番を辞め、明治26年(1893年)2月より、久邇宮へ書道を教え始める。明治30年(1897年)7月には正四位を授けられる。明治32年(1899年)に久邇宮出仕となる。明治36年(1903年)には従三位となる。明治40年(1907年)久邇宮出仕を辞める。明治45年(1912年)7月、正三位となる。

大正9年 (1920年)4月6日に東京千駄ヶ谷で死去した。享年59。墓所は東京都台東区浅草の海雲寺。

系譜

  • 父:丹羽氏中
  • 母:朔
  • 妻:チヨ(1866年 - 1940年)- 松崎左吉維朝の娘、上田勝行の養女
    • 長女:三草子(1894年 - 1967年)- 深瀬清三の妻 のち中林実の妻
    • 二女:千草子(1898年 - ?)- 林マスの養女
    • 長男:丹羽氏郷(1902年 - 1940年)
      • 長男妻:寿美子(1911年 - ?)- 田中信吉の長女
        • 孫:千寿子(1936年 - )- 積水化学工業本社勤務
        • 孫:由紀子(1939年 - )


当主
先代
丹羽氏中
三草藩丹羽家 次代
丹羽氏郷
日本の爵位
先代
(叙爵)
子爵
三草丹羽家初代
1884年 - 1920年
次代
丹羽氏郷



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