松平忠固とは? わかりやすく解説

松平忠固

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/07 00:28 UTC 版)

松平 忠固(まつだいら ただかた)は、幕末譜代大名老中信濃国上田藩6代藩主。伊賀守系藤井松平家8代当主。嘉永7年(1854年)の日米和親条約と、安政5年(1857年)の日米修好通商条約という2度の条約の調印時にいずれも老中を務め、反対を押し切り、調印を断行した。徳川斉昭井伊直弼と対立しながら、終始一貫して開国と交易を主張し、幕府の開国論を牽引した支柱的存在であった。一方で、養蚕業を推進し、海外輸出の地盤を固め、日本経済の礎を築いた[2]


  1. ^ a b c d 霞会館 1996, p. 625.
  2. ^ 関良基 2020.
  3. ^ 関良基 2020, p. 27–31.
  4. ^ 石井孝 2010, p. 87.
  5. ^ 上田市立博物館 1994, p. 13.
  6. ^ 関良基 2020, p. 100–121.
  7. ^ 中根雪江 1922, p. 192–193.
  8. ^ 猪坂直一『あらしの江戸城』中沢書房、1958年。
  9. ^ 上田市立博物館 1994, p. 18.
  10. ^ 吉田松陰「桂小五郎に與ふる書」(安政4年10月29日)、山口県教育委員会編『吉田松陰全集 第四巻』P138 - P140所収。
  11. ^ 土井利教の養子


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