合羽摺とは? わかりやすく解説

合羽摺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 05:06 UTC 版)

合羽摺(かっぱずり)とは、日本における浮世絵版画での彩色法である。

合羽摺前史

菱川師宣の「春本」から一丁(2ページ)が外れたもの。版本名は不明。墨摺絵筆彩色。1680年頃。挿絵人気により、テキストが上4分の1に追いやられるのが、版本から一枚摺に移行する時代の特徴である[1]スミソニアンフリーア美術館蔵。

木版画は単色摺が基本である。だが、上客からの要望もあり、彩色化が図られるようになる。最初は、摺った後にで着彩する方法が取られた。

安房国の縫箔[注釈 1]屋出身で、17世紀後半の江戸で活動した、菱川師宣の場合、版本や、「揃い物」[注釈 2]に、着彩されている墨摺絵が現存する。その後、1741-42年(寛保元-2年)に、色版を用いた紅摺絵[4][5]が、そして、1765年(明和2年)には、鈴木春信による多色摺、錦絵が登場する[6][7]

一方、師宣以前の上方、つまり大坂は、「洛中洛外図屏風」や「寛文美人図」等、「近世風俗画」が盛んに描かれたが、これらが「上がりもの」として江戸に持ち込まれることによって、師宣の歌舞伎絵・美人画春画を生むきっかけとなった[8][9]。上方でも、版本から一枚摺が生まれ、墨摺絵に筆彩色する過程は同じだが、その次に登場したのが「合羽摺」であったのが、江戸との違いである。

合羽摺の手法と長短所

有楽斎長秀「祇園 神輿あらひ ねり物 先はやし 花菱屋 咲江」、1813-25年頃。上方合羽摺において、長秀の現存数が最も多い[10][11][12][13]

「主版」(おもはん)、つまり最初に摺る輪郭線[14]版木を用いるが、色版は、防水加工した紙を刳り抜いて型紙とし、墨摺りした紙の上に置き、顔料をつけた刷毛を擦って彩色した。色数と同じだけの型紙を必要とする[15][16]。防水紙を使用することから、「合羽」と呼ばれる。

合羽摺の利点は、加工が容易であり、コストが安く、納期が早い、馬連を用いないので、錦絵より薄く安価な紙が使用できる点である。

逆に欠点は、版木摺ほど細密な表現が出来ない、色むらが出やすい、重ね摺りすると、下の色は埋もれてしまう(版木の場合は、下の色を透かすことが可能。)、切り抜き箇所の縁に顔料が溜まりやすい、型紙が浮き上がり、顔料が外にはみ出すことがある、型紙を刳り抜くため、その内部に色を入れたくない部分がある場合は、「吊り」と呼ばれる、色を入れる箇所の一部を切り残す必要がある[注釈 3]、安価な紙を用いた為、大切にされず、現存数が少なくなっただろう点である[17][16]

上方の合羽摺

伊藤若冲『花鳥版画』の内、「薔薇鸚哥図」。大英博物館蔵。明治期の翻刻版。平木本での樹幹の彩色・吹付けは合羽摺による。

合羽摺の登場は、享保年間(1716-36年)の絵本『聖泰百人一首』扉絵とされる[18]蘇州版画からの影響[注釈 4]か、友禅染の型紙の転用から生まれたと言われる[20][16]。しかし、それ以前に、大津絵で合羽摺が採用されていたとの論があり[21]、また他分野からの影響ではなく、職人なら自身で開発できるだろうとの仮説もある[20]

上方では、1813年(文化10年)頃に、江戸の錦絵が流入した[22]後でも、合羽摺が併存し、1887年(明治20年)頃まで存続した[23]

画題は役者絵と「練物(ねりもの)[注釈 5]」が大部分で[25]、判型は、錦絵が大判もしくは中判[注釈 6]が主流なのに対し、合羽摺は細判[注釈 7]が多い[27]

浮世絵師ではないが、伊藤若冲の『花鳥版画』(1771年(明和8年)、平木浮世絵財団は6種所蔵。)は、木版摺と合羽摺の併用とされている。黒地部分は、裏から馬連跡が見えるのに対し、彩色部は馬連跡が在る箇所と無い箇所がある。刷毛ではなく筆を使用し、濃淡を変化させたり、顔料を吹くなど、高度な技術が投入されている[28]。若冲は、親族に西陣織業者が居り、そこから友禅染の援用を思いついたのではと、山口真理子は指摘する[29][注釈 8]

長崎の合羽摺

火喰鳥」。作者不明、1800年頃。大英博物館蔵。

長崎絵でも、合羽摺が用いられた。

人は新年を祝う為、唐寺で摺られた「年画」を家屋に貼る風習があり、それが周辺に住む日本人にも受け入れられ、江戸や上方とは異なり、版本から一枚絵に展開する過程を必要としなかった[31][32]

現存する「長崎絵」最古のものは、寛保から寛延年間(1741-1751年)とされ[33]、そのころから墨摺絵に手彩色することが始まり、天明年間(1781-1801年)頃に合羽摺が行われるようになる[34]

天保年間(1830-44年)初頭、渓斎英泉の門人である、磯野文斎が版元「大和屋」に婿入りし、後に彫師摺師を江戸から招くことにより、錦絵が齎された。但し他の版元では、合羽摺版行が続いた[34]

画題は、江戸や上方と異なり、オランダ人や唐人の風貌や装束、彼らの風習、帆船蒸気船、珍しい動物、出島図や唐人屋敷、唐寺など、長崎特有の異国情緒を催すものが描かれた[35][36]

1858年(安政5年)の日米修好通商条約締結後、外国人居留地の中心が横浜に移ることにより、1860年(安政7・万延元年)には横浜絵が隆盛し[37][38]、文久年間(1861-64年)頃に、長崎絵の版行は終わったとされる[39]

脚注

注釈

  1. ^ 装束刺繍をし、金銀箔を捺し貼ること[2]
  2. ^ 一枚摺が登場する前の、組売り版画。12枚揃いが多かった[3]
  3. ^ フィルム時代の映画字幕、「パチパチ文字」と同じ手法である。シネマフォント®の種類”. 2020年7月3日閲覧。
  4. ^ 樋口弘は、蘇州版画にも合羽摺があったことを指摘している。蘇州版画は朝初めから制作されている[19]
  5. ^ 祭礼時に山車を引いたり、集団で練り歩く事[24]
  6. ^ 前者は、大奉書紙を縦に二等分した大きさ。約39×26.5センチ。後者はその半分の約26×19センチ[26]
  7. ^ 小奉書紙を縦に三等分した大きさ。約33×15センチ[26]
  8. ^ ジャン=ガスパール・パーレニーチェクは、ヨーロッパでジャポニスムを引き起こした日本工芸品として、浮世絵版画以外に、尾形光琳を顕彰した、中村芳中酒井抱一らの版本と、染色用型紙を挙げている。型紙本来の用途ではなく、陰陽が逆転した像として、鑑賞対象になったのである[30]

出典

  1. ^ 田辺 2016, pp. 41、57、60、62.
  2. ^ 石田ほか 1987, p. 725桐畑健「縫箔」
  3. ^ 田辺 2016, p. 35.
  4. ^ 国際浮世絵学会 2008, p. 441武藤純子「紅摺絵」
  5. ^ 田辺 2016, p. 279.
  6. ^ 小林 1979, pp. 138-139、142-144小林「版画彩色法の進歩」
  7. ^ 小林・大久保 1994, pp. 140–143藤澤紫「浮世絵版画における摺りの変遷とその顔料」
  8. ^ 小林 1979, pp. 120–129小林「近世初期風俗画の変質」
  9. ^ 辻 1986, pp. 107–133.
  10. ^ 山口・浅野 1981, p. 117.
  11. ^ 小林・大久保 1994, p. 250森山悦乃「絵師を知るための基礎知識」
  12. ^ 国際浮世絵学会 2008, p. 74北川博子「有楽斎長秀」
  13. ^ 松平 1999b, p. 81.
  14. ^ 国際浮世絵学会 2008, p. 110安達以乍牟「主版」
  15. ^ 小林・大久保 1994, p. 141藤澤紫「浮世絵版画における摺りの変遷とその顔料」
  16. ^ a b c 国際浮世絵学会 2008, p. 131北川博子「合羽摺」
  17. ^ 竹中 2006, p. 75.
  18. ^ 中出 2003, p. 8.
  19. ^ 樋口 1967, p. 49.
  20. ^ a b 松平 1999a, p. 223.
  21. ^ 紙屋 1930, pp. 9–10.
  22. ^ 松平 1999b, p. 205.
  23. ^ 国際浮世絵学会 2008, p. 132北川博子「合羽摺」
  24. ^ 国際浮世絵学会 2008, pp. 384–385榎本紀子「練物」
  25. ^ 松平 1999b, p. 6.
  26. ^ a b 国際浮世絵学会 2008, p. 410田辺昌子「判型」
  27. ^ 北川 2002, p. 7.
  28. ^ 山口 2007, pp. 457–458.
  29. ^ 山口 2007, p. 458.
  30. ^ パーレニーチェク 2019, pp. 13-14、27.
  31. ^ 樋口 1971, pp. 2–3.
  32. ^ 植松 2017, p. 127.
  33. ^ 樋口 1971, p. 4.
  34. ^ a b 樋口 1971, p. 22.
  35. ^ 樋口 1971, p. 15.
  36. ^ 植松 2017, pp. 7–120.
  37. ^ 八柳 1996, p. 186.
  38. ^ 国際浮世絵学会 2008, pp. 504–505横田洋一「横浜浮世絵」
  39. ^ 樋口 1971, p. 12.

参考文献

関連文献

関連項目

外部リンク


合羽摺

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上方絵」の記事における「合羽摺」の解説

詳細は「合羽摺」を参照型紙#染色用型紙」も参照 上方にて錦絵版行される以前制作され版画技法別称合羽版かっぱばん)あるいは型紙摺(かたがみずり)で、現代ステンシル印刷通じ孔版一種として、絵柄枠線木版刷り色付け型紙用いて刷毛捺染なっせん)する。型紙には雨合羽あまがっぱ)の材料にもなった防水性があり強度の高い厚手の紙を使った。 合羽摺は役者絵とどまらず絵本挿絵本の彩色にも見られ一枚摺では風景画武者絵相撲絵などがある[疑問点ノート]。 主要な合羽摺の作家として岡本昌房寺沢昌次堀田行長有楽斎長秀清谷茶楽斎括嚢日本斎不韻斎国花堂らが挙げられる[要出典]。

※この「合羽摺」の解説は、「上方絵」の解説の一部です。
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