礒貝正久
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礒貝 正久(いそがい まさひさ、延宝7年(1679年) - 元禄16年2月4日(1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士。赤穂浪士四十七士の一人。通称は十郎左衛門(じゅうろうざえもん)。変名は、内藤十郎左衛門。
- ^ 「細川家にて毎夜楽酒。某相手(内蔵助)は惣右衛門、十郎左衛門らなり」(『赤穂義士実話』)
- ^ 堀内伝右衛門は自身の代で士分になった出来星なので、能や狂言の教養はない。
- ^ 細川家文書「堀内伝右衛門覚書」
- ^ 『堀部武庸日記』
- ^ 「黒塗りの鞘こい口二三寸朱にて筋違いにぬりこれ有り候。」(同じく堀内覚書)
- ^ 山鹿素行は「仇討ちは、正々堂々と昼間の明るい時に衆人環視のもとですべし」と主張している。(『山鹿語類』、巻二十九)
- ^ 課外読本『赤穂義士物語』一五九(昭和2年、野口鶴)
- ^ 講談「義士銘々伝 磯貝十郎左衛門」(若林鶴雲など)
- ^ 岡崎藩『水野家御預記録』
- ^ 久松松平家文書「波賀清太夫覚書」
- ^ 「火鉢煙草盆など暖諸用具相渡すべく伺い出も有りしが、御指圖破れざるに付き見合せと取り計べし」(『肥後熊本藩 細川家記』)
- ^ 「元禄忠臣蔵 大石最後の一日」より 琴の爪
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