批判と反論
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ヨハン・ロシュミットは「時間対称的な力学から不可逆過程が導かれるはずがない、どこかに間違いがあるはずだ」と反論した(ロシュミットの逆行性批判、または時間の矢のパラドックス)。 これに対する答えこそが、「分子的混沌の仮定」である。これにより、巨視的には時間対称性は破れることになる。ただし現在も、この仮定がない一般的な場合には、H定理は証明されていない。 一方エルンスト・ツェルメロは、ポアンカレの再帰性定理に基づき、「もとと同じ微視的状態に限りなく近づくことがあるはずだ」と主張した(ツェルメロの再帰性批判)。 これに対しては、確かに同じ状態に戻る(H が増大する)確率は全くのゼロではないが、それに要する再帰時間は途方もなく長くて、現実にはありそうもないという反論が成り立つ。
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批判と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 23:16 UTC 版)
日本では2021年に「生理の貧困」が報道されるようになり問題が広く知られるようになった。その一方で、複雑な背景を知らずに、「ナプキンを買えないのは金遣いが荒いからだ」とか、「スマホに金が使えるのにナプキンは買えないのか」「大学に行っているのに生理用品が買えないのはおかしい」といった批判や、「生理用品の無料配布は男性差別だ」「他人が働いた金が怠けものに流れてはならない」という自己責任論に基づく中傷をする人が出てくるようになった。 「生理の貧困」とは、経済的困窮だけではなく個人を取り巻く多様な事情により引き起こされるものである。このことから、「女性に必要なものへのアクセス手段」が失われることで、「女性の人権」や「社会を変化させる芽」が損なわれるといった事態は避けるべきである。ピルを買うことも、「体に良くない」「ふしだらな女だと見られる」といった根拠のない理由で止められてしまうなど、「目に見えない部分の必需品」だからこその値段やハードルの高さがある。「生理の貧困」が批判される大きな要因は日本の性教育の遅れであり、「ナプキンは1日1枚でいい」「生理中はセックスしても妊娠しない」といった誤解が蔓延する結果である。「生理の貧困」対策は「女性優遇」ではなく、「生理のある人が毎月苦しんでいることの是正」である。また「生理の貧困」問題はきっかけに過ぎず、女性は初経から更年期障害に至るまで、男性では起こらない様々な問題があるため、女性の不快や苦痛を社会全体でケアする体制づくりが必要である。 「女だけに補助があるのは優遇だ」「男の納めた税金を女に使うな」といった批判もあり、日本維新の会の参議院議員・梅村みずほは「『生理の貧困』が問題なら、『ひげそりの貧困』も対策が必要」とTwitterに投稿し、物議を醸した。 2021年6月に「生理の貧困では無く、生理に対する考えの貧困だ」といった高齢男性による新聞の投書があり、その件に対して反論したイラスト付きのTwitter投稿に多数の反応があり話題となった。 また、各公共施設に生理用品を無償配置している一般社団法人の代表理事に当て、生理用品を学校に置くと「子どもがだらしなくなる」という批判があった。この批判は生理用品を届けた先の学校に勤務する養護教諭から出たで、「生理用品を持ってこなくなった生徒は甘えている」「社会人はこんな恩恵はない」「生理用品を無料配布すると学校の評判が下がる」という懸念を伝えられた。この批判に対し、この代表理事は「本当に生理用品を買ってもらえない子供のことをどう見ているのか?」「養護教諭に心無いことを言われたり、男性教諭には相談しづらい」とした上で、「生理の貧困は虐待やネグレクトが背景にあることも少なくなく、保護者に連絡されるのを恐れて保健室に生理用品を取りに行けない子どももいる」と反論した。この批判のツイートには、元養護教諭や他の女性を中心に、多くの反響があった。
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批判と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 03:43 UTC 版)
「寄付のお願い (ウィキペディア)」の記事における「批判と反論」の解説
寄付のお願いには、利用者からウィキメディア財団のメーリングリストに「うざい」と抗議の声があがったり、文章がA/Bテストの結果に頼り過ぎているのではないか、そもそも支出が毎年膨れあがっていることに問題はないかという指摘がなされてきた。 2016年9月ごろに表示された寄付のお願いは今までで最も大きく、スマートフォンでは半画面、または全画面で表示された。多くの人が寄付のお願いを不快に感じている。日本国内のSNSなどでは広告を載せた方がいいのではないかという意見があり、また、ガジェット通信は「アフィリエイトやGoogle Adsenseなどのランダム表示の広告ならば問題ないのではないか」と2016年に提案した。その反論もある。日本は、アメリカに次いで世界で二番目にウィキペディアへのアクセス数が多い国である。しかし2014年のデータによると、ウィキペディアへの寄付総額のうち、日本からの寄付は2%ほどであった。また財団の調査によると、寄付で運営する、ということ自体を理解していない人が日本人の大部分を占めているという。 かつてウィキペディア日本語版の管理者であった男性は「広告を載せた場合、記事の執筆や編集を行うユーザーはサイトから離れ、ウィキペディアを『崩壊』させるだろう」と述べている。一方で、ウィキメディア財団の資金調達チームに在籍していたピート・フォーサイスは、寄付のお願いの文章は「『一切の広告を掲載いたしません』という広告」であり、「ウィキペディアの恥」だと語った。
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批判と反論
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2005年6月29日の郵政民営化特別委員会で、共産党の佐々木憲昭は、スリード社の企画書の概略を述べ、「重大なのは、この階層はIQがロー、つまり低い層とされている。(中略)つまり知能指数のことであります。(中略)EQとは何かというと、教育指数です、エデュケーションクオーシェント。ITQとはITクオーシェント、つまりIT指数。それが低いから、ウェブではなく折り込みチラシという手段になる、こういうことになるんです。(中略)要するに、小泉内閣を支持しているが、IQが低く、インターネットを使わず、郵便局に満足している、そういう層にターゲットを絞って徹底的に民営化の必要を浸透させよう、上から教育してやろうという考えなんです。竹中大臣(竹中平蔵)に聞きます。これは余りにも国民を愚弄した戦略ではありませんか」と質問した。竹中は「民間の企業の企画書でございますから、私はコメントをする立場にはございません。政府としては、そのような話を政府の中でしたという事実もございません」と答弁した。 スリード社側はこうした批判について、企画書内で分析軸として使用した“IQ”という言葉のみが抽出された一方的な解釈であり、名誉毀損であると再批判した。また、分析は情報戦略において行う通常手法に基づいて行ったものであり、指摘されるような差別的な意図は全く無く、また問題となった企画書はあくまで「会議用資料であり、内容の是非は、そこで行われた弊社の説明を含めて語られるべき」と反論したうえで、「内部資料とはいえ、こうした誤解を誘発する表現を行った」ことに対して謝罪した。 また、このことで、一部で偽文書説が出されていた上記企画書について、本物であることが確認された。
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批判と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:14 UTC 版)
安藤の活動・論調にとって、実質的な師匠とでも言うべき存在は、久保田万太郎である。古典落語という言葉は、久保田万太郎・安藤鶴夫師弟のいずれかが昭和20年代に「発明」したと言う説がある。「落語鑑賞」は、『苦楽』編集長の大佛次郎が落語を文学として読むに堪える文章として載せたいと久保田に連載を依頼したところ、久保田が安藤を推薦したのがきっかけである。師弟の信頼は篤かったが、反面、安藤は久保田以外の意見は聞かなかった。 3代目三遊亭金馬(東宝専属)と不仲だった久保田や安藤の評価では金馬の芸は一貫して低評価であったが、同業者である8代目桂文楽は金馬を高く評価していた。文楽が安藤に低く評価する理由を質問したところ、安藤は「金馬は乞食芸だ」と答えた。争いを好まない文楽は引き下がったが、自身の弟子に「安藤鶴夫は何もわかっていない」と漏らしていた。5代目古今亭志ん生は長い間売り出せず、評論家にも相手にされなかったが売れたらすり寄ってきたと弟子に発言している。5代目志ん生については安藤は文章や放送台本で多数触れている。 自身の好む芸人を礼賛し続ける反面、自身の好まない落語家には辛辣だった。そのあり方から本業の評論はおろか生き方に至るまで激しい毀誉褒貶に見舞われ、その頃すでに権威となっていた安藤に良くない印象を持つ者は芸人・関係者・ファンに至るまで数多く存在した。安藤から高い評価を得ながら批判の矛先がいつ自分に向けられるかと疑心暗鬼になっていた者も少なくない。永六輔が安藤の評伝が没後4年(執筆当時)を経て1冊も出版されず不思議に思い、安藤について書こうとしたところ、良く書くのかそれとも悪く書くのか、と各方面から真意を聞かれている。 戦前は7代目三笑亭可楽、戦後は8代目桂文楽や3代目桂三木助を高く評価する一方、以下の落語家は辛辣に批評するか無視だった。 初代柳家権太楼 東宝専属。爆笑新作落語で当時から人気が高かった。権太楼は安藤の批判に激怒し、決闘を申し込んだ。これは言論や芸の上での決闘でなく本当の殺し合いであり、安藤は他人に仲裁を頼み、権太楼に謝罪せざるを得ない羽目になった。 3代目春風亭柳好 「野ざらし」で有名な柳好である。徹底的に明るい芸風で古典落語を演じて寄席で人気の落語家だった。柳好は表立っては反論をしなかったが、嫌いなら放って置いてくれれば良いと発言していた。1956年(昭和31年)に柳好が鈴本演芸場の楽屋で逝去した際に安藤は「まことに江戸っ子らしい死」「本格の芸ではない」「軽いポンチ絵風の芸」「はなやかな高座」と書き残している。 3代目三遊亭金馬 上記参照。 2代目三遊亭円歌 3代目三遊亭金馬の弟弟子である2代目三遊亭円歌には客席で露骨にそっぽを向いて「鑑賞拒否」の態度を取った。 7代目立川談志 後の落語立川流家元である。安藤は二つ目時代の談志を賞賛したが、その後天狗になっている、調子にのりすぎていると批判し続けた。談志はのちに自著で評論家が恣意的に自身の意に沿わない芸人を誹謗して「プロである芸人の芸と商売」を邪魔するのは不当と批判する一方で、芸と芸人へ熱意があると判断した落語評論家の事は高く評価している。談志の安藤批判は後年辛辣さを増し、「安鶴は駄目だよ」「安藤鶴夫みたいなヤツの意見を(三木助は)聞いて(落語の芝浜を)嫌らしくしている」等、安藤の落語評論を否定した。
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批判と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 13:12 UTC 版)
1.非科学的な人種分類① 批判 セム族は浅黒い肌が特徴であるが、人類学的にはコーカソイドの一つ であり、モンゴロイドとは遺伝子的にも縁が遠い。 表現型も、セム族で、ユダヤ人と近縁であるアラブ人と、日本人とは異なっている。 かつてブルーメンバッハは中近東やインドなどに居住する東方コーカソイドを「有色人種」に分類した。それは優生学に基いた人種差別にも関わる言葉であり、キリスト教を主体とする宗教的思想にも端を発しているが、科学的とは言い難く現在の一般的人種分類とは定義の範囲が異なっている。であるのにも関わらず、日ユ同祖論の論者の間では、いまだにかつての悪習を思わせる解釈がなされている。 セム族、もしくは古代ユダヤ人は「黄色人種(モンゴロイド)」であり、日本人と同族であると解説している事例が多い。それ自体、現代の人種分類から逸脱しているが、その説にはブルーメンバッハの「有色人種」分類の残滓が見え隠れする。 なお、18世紀後半のその時代、ユダヤ=キリスト教的文化の伝統に支配されていたヨーロッパでは白人至上主義が絶対であったが、現在、実在したイエスはアラブ人と同様の浅黒い肌であったと考えられている。 反論 セム語族とモンゴロイドは混血となればアジア系のような風貌となる事は考えられる。実在の姿の証左となっている再現された『イエスの顔』だが、当時の誰とも知れない人物の可能性もある。 2.非科学的な人種分類② 批判 セム、ハム、ヤペテの三大人種起源説については学説でも何でもなく単なる旧約聖書をベースとした宗教理論もしくは思想でしかなくユダヤーキリスト教の敬虔な信者以外信じるに値せず、この説は単に旧約聖書が書かれた時代の古代オリエント社会の三大人種、つまりセム族(東方コーカソイド)、黒色人種、白色人種という分類を近代のユダヤ-キリスト教系の宗教学者や思想家が無理に現代の三大人種論に分類し黄色人種、黒色人種、白色人種に当てはめただけと考えられる。当時のオリエント社会では日本人、中国人などの黄色人種(モンゴロイド)は見た事もない存在だったのは間違いない。また旧約聖書をベースに唱えられている人類血統論は非科学的であり、カインの系譜がノアの大洪水で滅びているなどかなり痛々しい。 反論 これは三大人種起源説への批判で日ユ同祖論への批判ではない。セム、ハム、ヤペテは旧約聖書をベースとした古代イスラエル人の視点における人種分類であって、セム族は黄色人種系の先祖とされているものの、セム族は中東文化圏に住んでいなかったモンゴル系民族を先祖とするモンゴロイドではない。また、旧約聖書は、大勢いたイスラエル人の一部が古代オリエント地方を離れ、東アジアへ離散・移住した古代イスラエル人は皆無であったと決定付ける判断材料にはならないことは言うまでも無い。離散した古代イスラエル人は30万人にのぼるとされている。 3.恣意的な論法 批判 日ユ同祖論者の論の立て方は極めて恣意的である。 例えば、イエスなど古代ユダヤ人を描写する「黒髪、黒眼、褐色の肌、縮れた髪」などを、古代ユダヤ人が日本人の祖先である証拠のように言いまわす例もあるが、「黒髪、黒眼」は黄色人種の他にも、東方コーカソイド、ネグロイド(黒色人種)、ラテン系コーカソイドなど大半の人種・民族に当てはまり、「褐色の肌、縮れた髪」に至っては多くの黄色人種離れした特徴で、多くの東方コーカソイド、多くのネグロイドに強く当てはまる特徴であるにも関わらず、単に、イエスなど古代ユダヤ人が白色人種(ここでは欧米系白人ではないという意味)ではないという証拠のみを強調して使われてしまったりする事が多い。そもそも太平洋地域に広く分布し、縄文人の身体的特徴と似通っているポリネシア種族について無視されていること自体、学説的に不自然である。ユーラシア大陸を横断し、日本に渡る過程で異種族との混血が発生したとするならば、その地域文明との融合もなくてはならないはずであり、生殖的な融合のみ発生し、極東の日本だけにユダヤ文明がたどり着いたという考えは、民俗学的にも不自然極まりない。つまり、日本へ渡る過程のルート、それぞれの地域で、DNA融合があったというのならば、それぞれの地域でユダヤ同祖説が成り立たなくてはならないこととなる。反論として、例えば「全ての日本人がイスラエル支族の末裔と主張しているわけではなく、日本人の一部に支族の末裔がいると考えられるというだけである」というものがあるが、これが成り立つためには、いずれにせよ異種族との混血が全然起こりえなかったようなルートでユダヤ文明がユーラシア大陸を横断してきたと考える他ないが、これもまた不自然である。 反論 西安からローマまでシルクロードは約12,000〜13,000kmであり、徒歩で一日にわずか5kmしか移動しなかったとしても8年で移動できる。当時の最強国家であるアッシリアの武器や馬、ラクダなどの移動手段を持てば、10年もあれば(たった一世代のうちに)中東から日本へ移住してくる事は出来るため、混血が発生しなくとも不思議ではない。そして、日本列島内、あるいは経由地において混血が発生して、遺伝子分類において分岐した事も考えられるので不自然では無いと言える。 そもそもユダヤ人10支族については日本以外の地域にも同祖の可能性のある地域は数多く存在しており、「日本に限定して子孫がいる」という論を展開しているわけではない事への認識が欠落している。(開封のユダヤ人) また、ユダヤ文明の影響は神殿や寺院の入り口に獅子を置くなど、中国においても見られる。 身体的類似はその通りであり、「そのためセム語族は白人であるからありえない」という反論の論拠も崩れてしまう矛盾が発生している。そもそも旧約聖書におけるセム、ハム、ヤペテの人種分類とは古代イスラエル人の視点における分類で、エジプト人、シュメール人、アッカド人、カナン人、アラブ人、ヒッタイト、フェニキア人、エラム人、テュルク人、アッシリア人、ギリシャ人、ローマ人や隣接地域にいた民族集団を含まないので、もともと科学的では無い。ポリネシア種族に関しては、DNA分類ではC系統であるとされており、これは中国北部・南部や東南アジアにかけてよく見られるDNAで、日本人に見られるYap因子D系統や中東、オリエント地方に良く見られるE系統に近いものではあるものの、分類上分けられている。 4.不十分な物証 批判 天皇家の三種の神器の一つ、八咫鏡の裏にヘブライ文字が刻まれているらしい事を証拠とする意見があるが、実証不可能である。仮にヘブライ文字が刻まれていたとしても、正倉院にペルシアの宝物が収められていたのと同じく、証拠にはならない。 その他の天皇家とユダヤのつながりを示す証拠と言われるものは、近代発祥のものや、実証不可能なものも多い。 例えば、伊勢神宮には籠目模様の刻まれた石燈籠があり、これがユダヤ人のダビデの星と六芒星である点が同じであると一部論者により唱えられているが、矢野憲一『伊勢神宮 日本人のこころのふるさとを訪ねて』(講談社、1991年 ISBN 4-06-198041-6)によれば、1958年(昭和33年)頃、皇太子(後の上皇明仁)結婚記念で、全国の石屋が組織した「伊勢三宮奉賛献灯会」が献灯した際、内宮、外宮、伊雑宮の三宮を日、月、星で表したものが偶然似たものという。 反論 神器についての異論は、本論においても明確な情報ではない事の断りが記されている。そして、古墳の発掘調査は禁じられている為、現段階では詳しく検証することは不可能である。 (ただし禁止されているのは天皇陵の参考地だけであり、その他古墳から証拠となるような出土品が発見された報告はない) 仮に事実と異なる情報だったとして、物証として現物が存在しないからといって即その可能性を否定する事はできない。これは同時に肯定する根拠も明確ではない事と同義だが、そのことについては繰り返しになるが論中に注記されている。 5.宗教形態の相違 批判 古代イスラエル民族の信仰していたユダヤ教は唯一神との厳格な契約に基づく宗教であり、日本の神道は西洋宗教のような一神教ではない。両者の「神」概念は対極にある故、とても同祖であるとは考えにくい。 反論 古代イスラエルやセム系と呼ばれる人種が住んでいたイスラエル周辺諸国においてはユダヤ教のみならず様々な信仰が存在していたと旧約聖書に記されている。ユダヤ人の中には、パレスチナ地域の先住民であったカナン人の宗教や、バアル信仰などの自然信仰や偶像崇拝に傾いた民も存在していたと旧約聖書に記されている。古代イスラエルの一般市民は、少数の選ばれた身分の高い聖職者や、祭司のように厳格な一神教徒ばかりでは無かったと聖書に記述が存在している。厳格な宗教教義に従うもの、そしてイエス・キリストのようにユダヤ教の教義に疑問を持った人が長い歴史の中で何人か存在していても不思議ではないということは普通に考えることができる。 6.塗油 批判 古代ユダヤ教では塗油といって、油を神聖なものとして、聖者や特定人物などの体に清めの油を塗る習慣があるが、日本ではそんな習慣はないどころか、油は比較的、清浄とは思われていない。油が神聖とされるのは、地中海気候の乾燥した土地特有のものである。 反論 いくつかの矛盾を先に指摘後、塗油に関する資料を提示する。 矛盾1)塗油は指摘の通り重要な儀式であり、王や救世主、聖職者にのみ施される。それがそのままのものと考えた場合、「一般人には適用されないため民俗として習慣化する事はありえない」。何故なら『重要な儀式』である以上民俗学で言うならばハレにあたるもので、それは盆やクリスマスなどと同様日常の風習ではなく、さらにこの重要な儀式は明確なサイクルで行われるものではないからである。さらに突き詰めるならば、一部の階級の人間のみに対して行われるものである以上、信徒が気軽に行えるものではない。 矛盾2)塗油が一般的な儀式としそれがそのまま維持されなければ説明にならないという場合、「日ユ同祖論の該当年代よりもはるかに後になって伝来したカトリックの塗油が現在習慣化していない理由が説明できない」。カトリックの塗油が民俗風習化していない以上、塗油が習慣として存在しないからといって伝来を完全否定する根拠にはならない。カトリックの塗油が途絶えたという主張をした場合、同じ理由をユダヤによる伝来の断絶にも適用できてしまう。 矛盾3)異論の通り、そもそも地中海で見られる油を塗る行為は地域に根付いた習慣であり、もっぱら日焼け止め等肌の保護や美しく見せる目的である。油だから忌避するというイメージは恐らく石油、鉱油などから来ていると思われるが、植物性油脂によるサンオイルやアロマオイルは現代日本に商品として存在しており利用されている以上、清浄なものと思われないから肌に塗る行為は存在しないという展開と矛盾する。かつ、日本は地中海ほどそれを必要としない気候である以上、習慣化し得なくとも不自然ではない。 補足1)ユダヤ教における洗礼は沐浴であり、これは日本にも禊という類似した行為(いずれも水を使用する)である。この点で本異論に従った場合立派に伝来していたと説明が可能になってしまう。 補足2)日本の油の歴史は古い(→エゴマ、大宝律令(徴収)、日本書紀(発見))が、植物性油脂(地中海地方で用いられる油の多くはオリーブオイル)を抽出する技術の登場は平安時代(→)になってからである。つまり、例え習慣を持ち込んだとしても油が存在しないもしくは高価であるため維持できなかったと説明しても不自然ではない。 現実的にユダヤにおける塗油については指摘の通り非常に重要な儀式だが、より詳しく旧約聖書を紐解くと『生きている人(※ここでの人はユダヤ人のみを指す。それ以外は異邦人と呼ばれる)に油を塗る事は罪である』と解釈される(エゼキエル書 34:31 及び出エジプト記30:32 参照)事、及び、指摘されている通り『大変重要な儀式』であり、王、救世主、聖職者など一部に対してしか行われないのがユダヤ教における塗油である。 ハヌカという油に因んだ祭りがユダヤ教には存在するが、これは塗油に関係するものではなく、マカベアの反乱 (紀元前2世紀頃) 時、一日の油で八日火が燃え続けた事から発生している。 一方、日焼け止めとして或いは痛みを和らげる目的の嗜好品としても古くから油を肌に塗るという行為は、他にも類似の儀式として花嫁に対する塗油行為が挙げられる。これはそもそも油の神聖視自体がユダヤ教に起因するものではないからと考えられる(→) このように「罪とされるにも拘らず習慣化している」事の不整合は「儀式としての意味の有無」に注目する事で解消でき、例え不自然に感じられたとしても、異論に指摘されている通り、儀式においても一般嗜好品としても地中海地方で存在していた事実は変わらない。 通俗として伝わっていないとしても儀式として伝わっていないとしても、矛盾で指摘した通り塗油の風習が無いからといって渡来を否定する根拠にはならない。 同様に、次に続く貴重品の伝来についても『存在しないから、もしくは別のものが存在するからといって伝来の可能性を完全否定するものにはなりえない』(ユダヤは滅亡していたのでありえない、などであれば成立するが、そのような事実は無い)。 7.ユダヤに限定できない 批判 ユダヤとペルシアは同じ中近東で、文化には幾分の類似点がある。日ユ同祖論の証拠にされる事が多い、狛犬などの神殿構造も、実際はユダヤではなく、ペルシアから伝わったという説が有力である。飛鳥時代にはペルシア人の景教(ネストリウス派)徒で、日本に渡来した石工の李密翳という人物が、聖書文化を伝えたとされる。古代中国はペルシアとの交流が盛んで、中国に百を超えるペルシア人コロニーがあり、説話や文化を中国に伝えた。そして、それを遣隋使・遣唐使などが日本に持ち帰ったとされる。 反論 古代ペルシアやメソポタミア地方とイスラエル周辺は時期によっては交流もあって勢力圏を共有していた故、ユダヤ人はペルシアにも居住していたことは事実のようである。古代ペルシャは、サーサーン朝のように国教ゾロアスター教の他にユダヤ教やキリスト教の信仰を許していた時期もあった(バビロン、バビロン捕囚、キュロス2世を参照)。 8.秦氏渡来年代の矛盾 批判 「秦氏はネストリウス派キリスト教を信仰するユダヤ人だった」という説には年代から考え矛盾がある。ネストリウス派は431年のエフェソス公会議で「異端」とされ、その後、東方に布教活動を移したことが知られているが、中国へ伝来したのは7世紀、唐の太宗の時代にペルシア人司祭「阿羅本」らによって伝えられたころであり、秦氏の日本渡来より200〜300年あとのことである。 反論 景教ネストリウス派の中国への伝来は公式には7世紀であったとしても、一派が先に渡来していたかもしれないという可能性を無視しており、よく調査せずに決定付ける事には無理がある。秦氏の日本への渡来は複数回あったとされる。 (これこそ憶測の域を出ておらず、可能性があるかもしれないという希望的観測に過ぎない。)
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批判と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 04:23 UTC 版)
新歌舞伎も映画もいずれも興行は芳しくなく、内容も今日に至るまで批判されている。溝口映画は真山青果脚本の歌舞伎を忠実に踏襲したものであり、真山は批判に対し怒り反論したが、あまりに史実とかけ離れた脚本への不満を覆すには至らなかった。 「正確な時代考証のもと描いた」という真山の言に対し、例えば大石良雄は皆の切腹を見届けた後、最後に切腹している内容だが、史実では最初に切腹しているなど相違が多い。 真山は識者や大衆の批判に遂に屈し、「戦争が終わったら書き直したい」と娘に語ったという。 うち『御浜御殿綱豊卿』は富森正因が江戸城で、能面を付けた徳川綱豊に槍で襲い掛かる突飛な内容で(実際には一介の浪人が江戸城に登城して、のちの将軍候補に近づく事さえ不可能である)、前衛的な狂言として今日でも興行される。『琴の爪』では浅野長矩は能が大嫌いであったが、礒貝正久は実在しない女性の琴用に使う爪を所持している。
※この「批判と反論」の解説は、「元禄忠臣蔵」の解説の一部です。
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批判と反論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 06:22 UTC 版)
iPhone 5cの価格設定について、アメリカでは5sと同容量のモデルで100ドル程度の差で、中国ではAndroidを搭載した安価なXiaomi(シャオミ)製スマートフォンが2000元に対して5cは4488元、5sでは5288元の価格設定となっており、5cの価格は高価であると批判されている。これに対して最高経営責任者のティム・クックは「低価格の電話を売ることを目標にしたことはない。私たちの第一の目的は、素晴らしい電話を販売し、素晴らしい体験を提供すること」と反論した。
※この「批判と反論」の解説は、「iPhone 5c」の解説の一部です。
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