批判と反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 14:36 UTC 版)
「:en:Criticism of reality television」も参照 2000年代以後、テレビや動画配信サービスの番組の多くがリアリティ番組に占められるようになり人気に衰えを見せないが、一方で、一般人の人生をのぞき見たりかき回したりするようなリアリティ番組は中身がなく低俗だとの批判も浴びている。 リアリティ番組がどこまでが「リアリティ(現実)」なのかについては強い批判がある。多くの番組は日常生活ではなく、秘境や閉鎖された部屋など非日常的な空間、歌手やスポーツ選手・経営者になるトレーニングなど非日常的な状況、巨額の賞金のかかったクイズなど、およそ「リアリティ」とは遠いところを舞台としている。出演者は能力の限界を試され、普段出さない自分の姿を出させられている。こうした姿も「リアリティ」なのかどうかには議論がある。 また、こうした番組は編集の段階で多くの部分がカットされたり、時間を前後させてつなぎ合わされたりしており、実際に起こったこととは違うものを視聴者は見せられていることが多い。このため視聴者から叩かれた参加者の中には番組に対し「この編集では私が悪者のように見えてしまう」と抗議・反論する者もいる。 リアリティ番組にはやらせの疑惑も絶えない。視聴者からは、プロデューサーが事前に決めた筋書きに沿って参加者が動いているのではないかという疑念を持たれている。若手ファッションデザイナーに密着し私生活や友人関係を追ったと称する『The Hills』はその最たるものである。例えば若手シェフが勝ち残りを競う『ヘルズ・キッチン〜地獄の厨房』の第2シーズンでは、参加者が作った料理をふるまわれる客は実は役者ではないかという疑念が上がった。西部全米脚本家組合の委員長であるダニエル・ペトリ・ジュニアは2004年に、「リアリティ番組には台本がないといううたい文句だが、私は台本があることを知っている。番組側は、番組の出来事は全部偶然でありこれがリアリティなのだという幻想を殺さないために、脚本家のことを脚本家と呼びたくないのだろう」と語っている。放送局やプロデューサーが番組制作費を抑えるために、リアリティ番組の脚本家に対しては、全米脚本家組合が定めたレベルの報酬も払われていないし組合を介した労使交渉もできていないという。 実際にやらせであることを明らかにした番組も存在する。2007年6月、オランダで『De Grote Donorshow』(すばらしいドナーショー、De Grote Donorshow)というリアリティ番組が放送されることが事前に発表された。この番組では3人の腎臓病患者から視聴者投票で1人が選ばれ、余命わずかな女性から提供を受けた腎臓が贈られるというもので、ヨーロッパで放送の是非をめぐる論議を巻き起こした。しかし実際に放送された番組のラストで「これは臓器移植問題に関心を持ってもらうためのやらせであり、患者は本物だがドナーの女性は俳優である」ことが明らかにされた。製作者側も参加者の勝ち抜き過程などを透明化するなどやらせの起こらない状況を作る努力を払っている。 視聴者投票を伴うリアリティ番組が世界各地に広まるにつれ、民主主義的な政治の行われていない権威主義的な国の国民が、生まれて初めて重要な物事を決める投票を体験することになり、その政治的影響も注目されている。『ビッグ・ブラザー』の汎アラブ版は未婚の男女が共同生活することや赤裸々さから社会に衝撃を与えた。また中国版『ポップアイドル』といえる『超級女声』が、2005年のシーズンにおいて4億人の視聴者を得て800万票の投票が殺到するセンセーションを起こした後、政府系英字新聞のペキン・デイリーは「超級女声は民主主義への圧力なのか?」と題する記事を一面に載せている。『超級女声』は低俗であり青少年に悪影響を与えるとの非難が政府関係者からも視聴者からも寄せられ、2006年のシーズンで放送を終了した。 欧米の自動車レストア番組はリアリティ番組形式が主流であるが、『名車再生!クラシックカー・ディーラーズ』は出演者の対立などリアリティ番組に多い要素を排し、レストア作業の内容を細かく描写することに主眼を置くことで差別化を図っているなど、リアリティ路線から距離を置くことで人気を保っている番組もある。
※この「批判と反響」の解説は、「リアリティ番組」の解説の一部です。
「批判と反響」を含む「リアリティ番組」の記事については、「リアリティ番組」の概要を参照ください。
- 批判と反響のページへのリンク