批判と分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 10:06 UTC 版)
「クラシック・ロック (ラジオ・フォーマット)」の記事における「批判と分析」の解説
イデオロギー的にいえば、「クラシック・ロック」は、1960年代半ばのロックの登場という、音楽の歴史の特定の時期と、それに付随した様々な価値や実践、つまりライブ演奏、自己表出、正統性や、創造的単位集団としての音楽グループ、カリスマ的なリード・シンガーの鍵を握る役回り、主要な楽器としてのギターなどに優越した地位を認める表現として機能する。これは、芸術や美学に起源を持つイデオロギーである古典的なロマン主義の一変種である。 —ロイ・シューカー (Roy Shuker) 音楽学者のジョン・ストラットン(英語版)は、クラシック・ロックの起源をクラシック・ロックのカノンの出現まで遡って跡付けた。カノンとされるものの一部は、音楽ジャーナリズム(英語版)が生み出したものであり、最も優れたものとしてランキングされたアルバムなり楽曲が、集団的ないし公共的記憶の中で再強化されることになる。ロバート・クリストガウは、クラシック・ロックという概念がロック音楽を「時の試練に耐えた芸術としてのロックという神話 (myth of rock as art-that-stands-the-test-of-time)」に一変させたと指摘し、批評家や大手メディア、さらにロックの殿堂のような音楽業界の組織が、特的のロック・アーティストやバンドをカノン化していくことは避けられないと考えられると述べた。メディア研究者のロイ・シューカー (Roy Shuker) は、クラシック・ロック局の編成担当者たちが「すでに評価が確立された (tried and proven)」過去のヒット曲を「聴取者がよく知っていて、何をかけているのか分かる (high listener recognition and identification)」という判断に基づいて選曲していると述べ、その選曲の重点は、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』の時代から1970年代末に至る白人男性によるロックに置かれているとした。キャサリン・ストロング (Catherine Strong) の見解では、クラシック・ロックの楽曲は、一般的にアメリカ合衆国ないしイギリスの白人男性たちによって演奏されており、「4分の4拍子で、4分を超えることは滅多になく、演奏するミュージシャンたち自身によって自作され、英語で歌われ、「クラシカル」なロックの編成(ドラムス、ベース、ギター、キーボード)で、メジャー・レーベルから1964年以降にリリースされている」という クラシック・ロックという考えを支えているのは、クリストガウによれば、政治的反動だという。彼によれば、こうした音楽は、知性に欠けた、ヴィクトリア朝のロマン主義に根ざした伝統的な美意識を好んで、皮肉めいた機智を避け、例えば人種問題、アフロ・アメリカ音楽、政治、芸術的なポップ(英語版)など、1960年代カウンターカルチャーのよりラディカルな側面は、大きく扱われなくなるのだという。クリストガウは、1991年に『Details』誌に寄稿した記事で、「クラシック・ロックは、そのインスピレーションとヒーローたちの多くを1960年代に求めているにもかかわらず、当然ながら1970年代に構築されたものである」と述べている。「これは、1960年代の文化の全面的に商品化を果たすには、まず再構成が、つまり脅威となるようなことがないよう選択的に歪曲されることが必要だということを承知していた、パンク以前、ディスコ以前のラジオ編成者たちの発明であった ... 公的なロックの神殿において、ドアーズやレッド・ツェッペリンは偉大なアーティストであるが、チャック・ベリーやリトル・リチャードは原初的な先祖であり、ジェームス・ブラウンやスライ・ストーンは何か別物 (Something Else) なのである。」 クラシック・ロックの発展について、クリストガウは、アメリカ合衆国における経済的繁栄を享受したベビーブーマー世代が支えた初期のロックを受け継ぐ、1970年代以降の新たな世代の聴取者の間に生じた、妥協された社会経済的安定と、集合意識の消失を指摘して、次のように述べている。「クラシック・ロックが、ドアーズの秘儀めいたミドルブロウ(英語版)な逃避主義や、レッド・ゼップの威勢のいい誇大妄想的壮大さを持ち上げるのは、理由なくそうしているわけではない。日常生活に何の要求も生じさせない修辞的な自己強化は、まさしく時代が求めていたものであった。」 シューカーは、クラシック・ロック・ラジオの興隆が、部分的には「年齢を重ねた戦後「ベビーブーマー」の消費購買力によっており、この層がラジオに出稿する広告主たちに訴求力をもつことによる」としている。彼の見解では、クラシック・ロックは、「ロック音楽に関するもののみならず、ポピュラー音楽全般についての言説を支配し続けている、「ミュージシャンシップにおける男性のホモソーシャルなパラダイム」を称賛し、ロック音楽のイデオロギーやこの音楽についての議論を「ひどくジェンダー化された (heavily gendered)」ものにしているのである。
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