批判と大衆イメージ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/02 10:08 UTC 版)
「ノヴィ・ベオグラード」の記事における「批判と大衆イメージ」の解説
1947年から1950年代にかけてのノヴィ・ベオグラード建造初期の頃は、細かい部分をあまり気にすることなく建造が進められた。終戦後の人口増加と多数の居住者を受け入れるために、当時はとにかく早く多数の住居をつくることが重要であった。 こうした状況下でブルータリズム的な建造物が多数築かれ、ブロック全体が巨大なモニュメントのような街並みが誕生した。後の時代にハイアット・リージェンシー・ベオグラード(Hyatt Regency Belgrade)などの国際的なホテル、ゲネクス・コンドミニアム、ウシュチェ塔、ベオグラード・アリーナ、デルタ・シティといった、より現代的な建造物が出現したことにより幾分緩和されたものの、ノヴィ・ベオグラードの色彩に欠く単調な街並みを嫌がる声は依然根強い。ノヴィ・ベオグラードを卑下する表現として、スパヴァオニツァ(spavaonica、「寄宿舎」)というものがあり、これはノヴィ・ベオグラードには創造的な生活や地域の人々の健全な交流がなく、一日の労働に疲れて眠る場所としてのみ存在していることを意味している。 こうした見方はセルビアの流行文化にも反映されている。1980年代初期に、セルビアのロック・バンド、リブリャ・チョルバ(Riblja čorba)の楽曲「Neću da živim u Bloku 65(ブロック65には住みたくない)」では、ノヴィ・ベオグラードのコンクリートに囲まれた生活で世界に嫌気がさしている、疲れ果てた人物を歌っている。また、ノヴィ・ベオグラードをニューヨークのゲットーに比喩する向きもある。例として、2002年の映画『1 na 1』では、ラップをし、銃を撃ち、ストリート・バスケットボールをするノヴィ・ベオグラードの十代の少年らの苦悩を描いている。また、『Apsolutnih 100』や『The Wounds』でもノヴィ・ベオグラードを否定的な存在として登場させているが、これらの映画が公開された1990年代はセルビアは戦争や国際的な制裁により疲弊していた時代であり、こうした状況下のセルビア人の苦難が重ね合わされている。
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