矢野憲一
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矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、日本の神職、民俗学者、鮫研究家。矢野高陽は子息。
「サメ博士」のあだ名がある[1]。
来歴
現在の三重県伊勢市に生まれる[2](矢野の生誕当時は「伊勢市」は存在しない)。國學院大學文学部国史学科を卒業し[3]、1962年から神宮に奉職する[4]。神宮禰宜[5]、神宮司庁広報課長[6]、奉賽部長[7]、文化部長[8]、総務部副部長、神宮徴古館農業館館長[9]を歴任した。2002年に退職して[10]、特定非営利活動法人の五十鈴塾塾長となる[11]。[要出典]
1977年に『ぼくは小さなサメ博士』で毎日児童小説賞を、1979年に日本旅行記賞を受賞[要出典]。1980年に『鮫の世界』『ぼくは小さなサメ博士』『鮫 ものと人間の文化史』で樋口清之博士記念賞を受賞[12]。同1980年『ぼくは小さなサメ博士』で児童福祉文化賞奨励賞を受賞した[13]。
著書
単著
- 『鮫の世界』新潮社、1976年
- 『ぼくは小さなサメ博士』(平沢茂太郎・絵)講談社、1978年 のち青い鳥文庫
- 『鮫 ものと人間の文化史』法政大学出版局、1979年
- 『魚の民俗』雄山閣出版〈日本の民俗学シリーズ〉、1981年
- 『魚の文化史』講談社、1983年 のち講談社学術文庫
- 『枕の文化史』講談社、1985年
- 『鮑 ものと人間の文化史』法政大学出版局、1989年
- 『伊勢神宮 日本人のこころのふるさとを訪ねて』(篠原竜・写真)講談社〈講談社カルチャーブックス〉、1991年
- 『伊勢神宮の衣食住』東京書籍〈東書選書〉、1992年 のち角川文庫
- 『サメはほんとうにこわいのか』(平沢茂太郎・絵)講談社〈青い鳥文庫〉、1992年
- 『徳利びっくり読本』力也、1995年
- 『枕 ものと人間の文化史』法政大学出版局、1996年
- 『杖 ものと人間の文化史』法政大学出版局、1998年
- 『大小暦を読み解く 江戸の機知とユーモア』大修館書店〈あじあブックス〉、2000年
- 『亀 ものと人間の文化史』法政大学出版局、2005年
- 『伊勢神宮 知られざる杜のうち』角川選書、2006年
共著
- 『聖地への旅-伊勢神宮』(土田ヒロミとの共著)佼成出版社〈フォト・マンダラ〉、1988年
- 『お伊勢まいり』(宮本常一・山田孝雄と共著)新潮社〈とんぼの本〉、1993年
- 『聖域伊勢神宮』(西川孟・田中清司撮影、内藤昌と共著)ぎょうせい、1994年
- 『伊勢の神宮 神の住む杜 心のふるさと12か月』(中野晴生撮影・作品解説 総合解説)同朋舎メディアプラン〈国宝倶楽部コレクション〉、2006年
- 『楠 ものと人間の文化史』(矢野高陽との共著)法政大学出版局、2010年
- 『伊勢神宮めぐり歩き 一二五社をたずねる悠久の旅』(中野晴生・写真)ポプラ社、2012年
- 『三重県謎解き散歩』(五十鈴塾と共編)新人物文庫、2012年
論文
脚注
- ^ 『現代日本人名録』[要文献特定詳細情報]
- ^ 『亀 ものと人間の文化史』(法政大学出版局)著者紹介
- ^ 『亀 ものと人間の文化史』(法政大学出版局)著者紹介
- ^ 『伊勢神宮: 日本人のこころのふるさとを訪ねて』 (篠原龍との共著、講談社、1991年)著者紹介
- ^ 『亀 ものと人間の文化史』(法政大学出版局)著者紹介
- ^ 『ものと人間の文化史 151 楠(くすのき)』(矢野憲一、矢野高陽:著、法政大学出版局)著者紹介
- ^ 『伊勢神宮: 日本人のこころのふるさとを訪ねて』 (篠原龍との共著、講談社、1991年)著者紹介
- ^ 『亀 ものと人間の文化史』(法政大学出版局)著者紹介
- ^ 『亀 ものと人間の文化史』(法政大学出版局)著者紹介
- ^ 『ものと人間の文化史 151 楠(くすのき)』(矢野憲一、矢野高陽:著、法政大学出版局)著者紹介
- ^ 『ものと人間の文化史 151 楠(くすのき)』(矢野憲一、矢野高陽:著、法政大学出版局)著者紹介
- ^ https://all-kokugakuin.jp/about/commemorative/
- ^ 過去の児童福祉文化賞受賞作品一覧
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