渡辺 崋山とは?

わたなべかざん -くわざん 【渡辺崋山】 ○

1793~1841江戸後期洋学者南画家三河国田原藩家老。名は定静さだやす通称は登,崋山は号。儒学佐藤一斎松崎慊堂に,南画金子金陵?~1817)・谷文晁に学んだ。さらに西洋画技法研究し,肖像画など写生画すぐれた。また,藩の海防掛に任じたことから蘭学にも通じ高野長英小関三英らと交わり尚歯会一員となる。幕府対外政策批判した「慎機論」を著し蛮社の獄連座国元蟄居中に自殺。作「一掃百態」「鷹見泉石像」など。

渡辺崋山

作者石川淳

収載図書石川淳全集11
出版社筑摩書房
刊行年月1990.1


渡辺崋山

作者森銑三

収載図書徳川家康
出版社個人
刊行年月1991.3
シリーズ名森銑三紀念文庫


渡辺崋山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/25 17:02 UTC 版)

渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年9月16日1793年10月20日) - 天保12年10月11日1841年11月23日))は、江戸時代後期の武士画家三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮毫)、は定静(さだやす)。号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。号は他にも全楽堂、寓画堂など。贈正四位[1]


  1. ^ a b 「叙任及辞令」『官報』1891年12月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)。「渡邊登」の名で掲載。
  2. ^ 田中弘之『「蛮社の獄」のすべて』(吉川弘文館、2011年)
  3. ^ 田中『「蛮社の獄」のすべて』
  4. ^ 『文明東漸史』百八頁
  5. ^ こういった経緯のために昭和戦時下、左翼文学者の藤森成吉らが崋山を好んで描き、左翼運動の隠喩とした。
  6. ^ 田中『「蛮社の獄」のすべて』
  7. ^ 佐藤昌介『渡辺崋山』


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