わたなべ‐かざん〔‐クワザン〕【渡辺崋山】
渡辺崋山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 02:44 UTC 版)
渡辺 崋山(わたなべ かざん)は、江戸時代後期の武士、画家。三河国田原藩(現在の愛知県田原市東部)の藩士であり、のち家老となった。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮毫)、諱は定静(さだやす)。号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。号は他にも全楽堂、寓画堂など。贈正四位[1]。
- ^ a b 「叙任及辞令」『官報』1891年12月18日(国立国会図書館デジタルコレクション)。「渡邊登」の名で掲載。
- ^ 田中弘之『「蛮社の獄」のすべて』(吉川弘文館、2011年)
- ^ 田中『「蛮社の獄」のすべて』
- ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日) 2020年12月2日閲覧。
- ^ 『文明東漸史』百八頁カ
- ^ こういった経緯のために昭和戦時下、左翼文学者の藤森成吉らが崋山を好んで描き、左翼運動の隠喩とした。
- ^ 田中『「蛮社の獄」のすべて』
- ^ 佐藤昌介『渡辺崋山』
渡辺 崋山と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 渡辺 崋山のページへのリンク