下鶴間宿
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下鶴間宿(しもつるましゅく)は、かつて相模国高座郡下鶴間村(現・神奈川県大和市下鶴間)にあった、大山道(矢倉沢往還)の宿場(継立場)[1][2]。八王子道(滝山道)と交差する場所に位置し、八王子道の継立も行なっていたことから、交通の要所として栄えた[3][4]。
- ^ a b c 山本光正「相州矢倉沢往還について」『神奈川県史研究』第19号、神奈川県企画調査部県史編集室、1972年、48-49頁。
- ^ 大和市教育委員会社会教育課『大和市文化財調査報告書第78集 下鶴間の小倉家資料調査報告書1』大和市教育委員会、2001年、8頁。
- ^ a b c d 中平龍二郎『ホントに歩く 大山街道』風人社、2007年、133-135頁。ISBN 978-4-938643-28-7。
- ^ 大和市役所管理部庶務課『大和市史研究(第3号)』大和市役所管理部庶務課、1977年、91-92頁。
- ^ a b c 平凡社地方資料センター『神奈川県の地名』平凡社、1993年、470頁。ISBN 4-582-49014-X。
- ^ 小方武雄『かながわの街の歴史 道・湊・鉄道と共に歩む』技報堂出版、94頁。ISBN 978-4-7655-4472-6。
- ^ 鈴村茂「相模国矢倉沢往還」『県央史談第11号 県内旧街道史』1975年、53頁。
- ^ a b c 大和市『大和市史 2 通史編 近世』大和市、1973年、725-728頁。
- ^ 大和市『大和市史 2 通史編 近世』大和市、1973年、339頁。
- ^ a b c “大和七万年のあゆみ(3)下鶴間村と下鶴間宿”. 2017年12月23日閲覧。
- ^ 『翻刻 筑井紀行』町田市図書館、2002年、41-42頁。
- ^ アーネスト・サトウ 著、庄田元男 訳『日本旅行日記』1992年、38-39頁。
- ^ 佐久間達夫『伊能忠敬測量日記 第六巻』大空社、1998年、136頁。
- ^ a b c 津田良樹『大和市文化財調査報告書第73集大和市指定重要有形文化財下鶴間の旧小倉家土蔵解体調査編』大和市教育委員会、2000年、12-13,27頁。
- ^ 大和市『やまと暮らしのガイド 2009-2010』株式会社サイネックス、2009年、83頁。
- ^ a b c d e 大和市民間信仰調査会『大和市文化財調査報告書第91集『大和市の民間信仰』』大和市教育委員会、2010年、14頁。
- ^ a b “大和市史研究(第7号)市内の神社-座談会 P.21”. 2018年1月2日閲覧。
- ^ 大和市役所管理部庶務課『大和市史研究(第3号)』大和市役所管理部庶務課、1977年、93頁。
- ^ 中平龍二郎『ホントに歩く 大山街道』風人社、2007年、139頁。ISBN 978-4-938643-28-7。
- ^ “新編相模國風土記稿卷之六十七 高座郡卷之九”. 2018年1月2日閲覧。
- ^ “大和市の文化財”. 2017年12月23日閲覧。
- ^ a b 大和市教育委員会『大和市文化財調査報告書第76集 石造物 石に刻まれた庶民のねがい』大和市教育委員会、2000年、18頁。
- ^ a b “大和市史研究(第3号)矢倉沢往還 P.3”. 2018年1月2日閲覧。
- ^ 大和市民間信仰調査会『大和市文化財調査報告書第91集『大和市の民間信仰』』大和市教育委員会、2010年。
- ^ 大和市『大和市史 2 通史編 近世』大和市、1973年、729頁。
- ^ 村岡義章『湘南散歩 境川・引地川』武田出版、2000年、87頁。ISBN 4-7952-9765-7。
- ^ 大和市教育委員会『大和市文化財調査報告書第76集 石造物 石に刻まれた庶民のねがい』大和市教育委員会、2000年、29頁。
- ^ 『やまと暮らしのガイド 2009・2010』大和市 株式会社サイネックス、2009年、83頁。
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