Siebold Philipp Von (シーボルト フィリップ・フォン)
1796〜1866 (寛政8年〜慶応2年) |
【医学者】 日本蘭学に新しい波をもたらした、ドイツのエリート医師。 |
ドイツ人の医学者。1823年、弱冠27歳で出島のオランダ商館付医師として来日。日本の歴史・地理・言語・動植物などひろく日本人類学を研究。鳴滝塾を開き、高野長英・高橋景保・伊東玄朴ら門下生に医学・博物学を教え、蘭学の発展に貢献した。その時の、門下生はいずれも開明的な人物となった。1828年帰国に際し、国禁の日本地図海外持ち出しが発覚、翌年国外追放となった。59年再来日し、幕末の外交に日本の立場で助言しようとしたが不十分なまま帰国。息子2人も明治期の日本外交に尽した。 |
年(和暦) | ||
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 | 1才 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 | 7才 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 | 10才 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 | 12才 |
●1825年 (文政8年) | ■異国船打払令 | 29才 |
●1828年 (文政11年) | ■シーボルト事件 | 32才 |
●1829年 (文政12年) | ■江戸大火 | 33才 |
●1830年 (天保元年) | ■伊勢御蔭参り大流行 | 34才 |
●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 | 41才 |
●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 | 43才 |
●1853年 (嘉永6年) | ■黒船来航 | 57才 |
●1855年 (安政2年) | ■安政江戸地震 | 59才 |
●1858年 (安政5年) | ■安政の大獄 | 62才 |
●1860年 (万延元年) | ■桜田門外の変 | 64才 |
●1862年 (文久2年) | ■生麦事件 | 66才 |
●1863年 (文久3年) | ■薩英戦争 | 67才 |
・為永 春水 | 1790年〜1843年 (寛政2年〜天保14年) | +6 |
・徳川 家慶 | 1793年〜1853年 (寛政5年〜嘉永6年) | +3 |
・遠山 金四郎 | 1793年〜1855年 (寛政5年〜安政2年) | +3 |
・渡辺 崋山 | 1793年〜1841年 (寛政5年〜天保12年) | +3 |
・水野 忠邦 | 1794年〜1851年 (寛政6年〜嘉永4年) | +2 |
・千葉 周作 | 1794年〜1855年 (寛政6年〜安政2年) | +2 |
・歌川 広重 | 1797年〜1858年 (寛政9年〜安政5年) | -1 |
・高島 秋帆 | 1798年〜1866年 (寛政10年〜慶応2年) | -2 |
・男谷 精一郎 | 1798年〜1864年 (寛政10年〜元治元年) | -2 |
- Siebold Philipp Vonのページへのリンク