徳川斉荘とは? わかりやすく解説

徳川斉荘

読み方とくがわ なりたか

江戸後期尾張徳川家十二代。家斎の十一子。幼名は要之丞、字は公臨、知止斎・金城山人等と号する田安斉匡養子となり、田安家四代を継ぐ、のち実弟尾張徳川斉温遺領相続し従二位権大納言叙せられる。茶事好み玄々齋に学ぶ。弘化2年(1845)歿、36才。

徳川斉荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/01 17:58 UTC 版)

 
徳川 斉荘
徳川斉荘像(長栄寺旧蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 文化7年6月13日1810年7月14日
死没 弘化2年7月6日1845年8月8日
改名 要之丞(幼名)→斉荘
戒名 大覚院殿性譽惟徳源懿大居士
墓所 徳興山建中寺
官位 従三位左近衛権中将右衛門督参議権中納言従二位権大納言
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉→家慶
尾張藩
氏族 徳川氏徳川将軍家田安徳川家尾張徳川家
父母 父:徳川家斉、母:速成院
養父:徳川斉匡徳川斉温
養母:近衛寔子
兄弟 家慶敦之助斉順虎千代斉明斉荘池田斉衆松平斉民斉温松平斉良斉彊松平斉善蜂須賀斉裕松平斉省松平斉宣
正室:徳川斉匡の娘・猶姫
昌丸利姫浅野慶熾室)、釧姫(松平乗命室)
養子:慶臧
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徳川 斉荘(とくがわ なりたか)は、江戸時代後期の大名天保7年(1836年)に田安徳川家4代当主、天保10年(1839年)に尾張徳川家12代当主となった。

生涯

文化7年(1810年)6月13日、徳川家斉の十二男として生まれる。幼名要之丞。12代将軍・徳川家慶は兄。

文化10年(1813年)12月25日、御三卿の田安家当主で叔父にあたる徳川斉匡の養子となる。天保7年(1836年)8月、斉匡の隠居により、田安家の家督を相続する。斉匡には多数の子女がおり、匡時が世子となっていたが、病弱を理由に廃嫡され、代わって斉荘が継いだ。

天保10年(1839年)3月20日に尾張徳川家の当主で異母弟である徳川斉温が死去すると、26日に喪が発せられ、同日に松平乗寛水野忠邦幕府の上使として江戸の尾張邸を訪れ、斉荘を末期養子として尾張家の家督を継がせるよう命じた。さらに田安家から家老の朝倉播磨守、御用人格の興津甚左衛門、用人の梶田五郎兵衛らが側近の付き人として斉荘に従って尾張家へ入ることも幕府から命じられた。

斉荘の養子入りは幕府の一方的な命令によるものであり藩内に大きな反発を生んだ。特に、先代斉温の遺言でもなく、隠居していた先々代斉朝(斉荘の従兄にあたる)[注釈 1]にも全く相談もないことに不満は高まった。藩内では支藩である高須藩松平義建の次男・秀之助(後の徳川慶勝)を望む者が多かった。このとき、御附家老の一人である竹腰正富が藩内の説得役となったが、反発した藩士が「金鉄組」を結成した。これが幕末に至り、反幕・尊皇攘夷派への流れとなって、竹腰家を中心とした佐幕派との対立へとつながることとなる。また、江戸在府の御附家老成瀬正住にも批判が集中し、最終的には蟄居を強いられた[1]

江戸城本丸用材を献じたことなどにより藩財政は悪化しており、倹約令を出すなどしていたが、斉荘自身は苦労知らずの遊興好きで、苦しい藩財政を省みなかったといわれる。天保13年(1842年)には幕府から藩政停滞について警告された。それでも当人は藩政に真剣に当たらず、茶道にかまけ、裏千家に入門して11代千宗室(玄々斎)から奥儀を授けられている[2]

子女は6人いた。次男で斉荘死後に出生した昌丸一橋徳川家を相続して間もなく夭折したが、女子の2人は成人して大名家に嫁いだ。その内の利姫徳川斉彊の養女として広島藩の藩主である浅野慶熾の正室となった。

官職および位階等の履歴

※日付=旧暦

系譜

脚注

  1. ^ 斉朝は斉荘らと同様に一橋家からの養子であったが、母方の高祖母が4代藩主吉通の長女千姫(三千姫)であるため、尾張徳川家の血統を引いていた。
  1. ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X
  2. ^ 工藤寛正 編『徳川・松平一族の事典』東京堂出版、2009年



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