松平勝当とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松平勝当の意味・解説 

松平勝当

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/10 04:33 UTC 版)

 
松平 勝当
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 元文2年12月1日1738年1月20日
死没 享和元年9月12日1801年10月19日
改名 幸之丞(幼名)→勝当
戒名 大滋院空誉常夏慧念
墓所 岐阜県海津市南濃町上野河戸の行基寺
官位 従四位下左近衛少将弾正大弼、従四位上
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
美濃高須藩
氏族 尾張徳川家高須松平家
父母 父:徳川宗勝
母:お登世の方(馬場氏)
養父:松平義裕
兄弟 房姫、徳川宗睦義敏、豊姫、勝当勝長、勝綱、竹腰勝起、邦姫、井上正国内藤頼多、勝鷹、品姫、恭姫、陽姫、内藤政脩ら15男11女
維君(前田斉広正室のち近衛基前室)
養子:義居
テンプレートを表示

松平 勝当(まつだいら かつまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名美濃国高須藩7代藩主。官位従四位上左近衛少将弾正大弼

生涯

尾張藩主・徳川宗勝の五男として誕生。父・宗勝の1字を受け勝当(かつまさ、旧字体:勝當)と名乗る。

寛延元年(1748年)9月15日、徳川家重家治父子に拝謁する。同年12月21日、従五位下・弾正大弼に叙任する。ただちに従四位下・左少将に昇進する。寛政7年(1795年)9月28日、先代藩主・松平義裕の死去により、末期養子として家督を相続した。寛政11年12月18日(1800年)、従四位上に昇進する。享和元年(1801年)9月12日、65歳で死去し、跡を養嗣子の義居が継いだ。

系譜

父母

側室

  • 三沢 ー 佐合氏
  • 法琳院

子女

養子





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  松平勝当のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松平勝当」の関連用語

松平勝当のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松平勝当のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松平勝当 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS