松平義勇
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 安政6年8月12日(1859年9月8日) |
死没 | 明治24年(1891年)2月23日(31歳没) |
改名 | 範次郎(幼名)→義勇 |
官位 | 従五位 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家茂→慶喜→明治天皇 |
藩 | 美濃高須藩主 |
氏族 | 高須松平家 |
父母 | 父:松平義建、母:小森氏娘・千代 |
兄弟 | 源之助、徳川慶勝、武成、整三郎、 徳川茂徳、容保、定敬、鐡丸、義勇、幸 |
子 | 養子:義生 |
松平 義勇(まつだいら よしたけ)は、江戸時代後期の大名。美濃国高須藩13代藩主、のち藩知事。位階は従五位。
生涯
10代藩主・松平義建の隠居後に十男として誕生した。母は千代(小森氏)。
12代藩主の義端は義勇の甥に当たるが1歳だけ年上であり、11代藩主で義端の父、義勇の五兄の義比が安政5年(1858年)に徳川茂徳と改名して宗家の尾張徳川家を継いだ際、代わって生後2か月で高須藩主を継いでいた。茂徳の前に尾張家を継いでいた次兄の徳川慶恕(慶勝)が、安政の大獄で隠居となったことにともなう交替であった。義端は万延元年(1860年)に夭逝したため、義勇が数え2歳でその跡を継いだ。
明治2年(1869年)の版籍奉還で知藩事となるが、同年7月27日に病を理由として家督を養嗣子(年齢は義勇より4歳上)の義生に譲って数え11歳で隠居した。
明治24年(1891年)、満31歳で死去した。
系譜
父母
- 松平義建(父)
- 千代(小森氏) - 側室(母)
養子
固有名詞の分類
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