松平斉良とは? わかりやすく解説

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松平斉良

徳川十一代将軍家斉の男。幼名は徳之佐・徳之進。文政年上館林藩三代当主松平武厚養子となる。文政13年上総介任じられる。斉良を養子としたことにより館林松平家将軍家との関係を深め紋章家紋とすることを許された。天保10年(1839)歿、20才

松平斉良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/27 16:30 UTC 版)

 
松平斉良
時代 江戸時代後期
生誕 文政2年10月24日1819年12月11日
死没 天保10年6月22日1839年8月1日
改名 徳之佐(幼名)、斉良
戒名 大智院殿晃山大居士
官位 上総介侍従
石見浜田藩世嗣
氏族 徳川将軍家越智松平家
父母 徳川家斉皆春院
松平斉厚
兄弟 清湛院徳川家慶徳川敦之助峰姫
徳川斉順浅姫徳川虎千代、元姫、
徳川斉明、文姫、徳川斉荘、盛姫、
池田斉衆溶姫、和姫、斉民末姫
喜代姫徳川斉温斉良永姫
徳川斉彊斉善蜂須賀斉裕斉省
斉宣泰姫ら26男27女
松平斉厚
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松平 斉良(まつだいら なりよし)は、江戸時代後期の石見国浜田藩の世嗣。江戸幕府11代将軍・徳川家斉の二十男。12代将軍徳川家慶の異母弟にあたる。

略歴

上野国館林藩主・松平武厚(斉厚)の養子となり、武厚の娘を正室とする。元服し、父・家斉から偏諱を受けて斉良と名乗り、養父武厚も斉厚と改名した。天保7年(1836年)には斉厚が石見浜田に国替えとなったが、斉良は3年後の天保10年(1839年)に死去した。

代わって高松松平家出身の武揚(正室は斉良正室の妹)が斉厚の養子となった。



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