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井坂泉太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/07 04:20 UTC 版)

 
井坂 泉太郎
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保6年(1835年
死没 明治30年(1897年1月10日
改名 貞行 → 泉
別名 :貞行
墓所 常磐共有墓地
幕府 江戸幕府
主君 徳川慶篤徳川昭武
水戸藩清水徳川家
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井坂 泉太郎(いさか せんたろう)は、幕末期の水戸藩士。

概要

は貞行。在京藩士本圀寺勢に属し、元治元年(1864年)9月20日、主君徳川慶篤の弟昭武附きとなる[1]小姓頭取を務め、1867年慶応3)年、昭武が将軍名代としてパリ万国博覧会に派遣された際、やはり小姓頭取の菊池平八郎らと共に随行した。1868年1月(慶応3年12月)に向山隼人正らとともに帰国したが、1868年9月(慶応4年8月)、昭武を迎えるために服部潤次郎と再びパリに赴き、昭武とともに帰国した[1]

明治以後はと改名し、水戸徳川家の事務局に入り、家扶(もしくは家令)となって引き続き昭武に仕えた。『戸定邸日誌』には幹部職員として家政に携わる様子が度々登場する[1]。明治30年(1897年)に没した。享年63。

演じた俳優

脚注

  1. ^ a b c 『図録 プリンス・トクガワ』p16

参照文献

  • 『文明開化のあけぼのを見た男たち-慶應3年遣仏使節団の明治-』 (松戸市戸定歴史館編集・発行、1993年)
  • 『プリンス昭武の欧州紀行』(宮永孝 著、2000年)ISBN 4-634-60840-5
  • 『図録 プリンス・トクガワ』 (松戸市戸定歴史館編集・発行、2012年発行、2021年改定)



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