川原慶賀とは? わかりやすく解説

かわはら‐けいが〔かははら‐〕【川原慶賀】

読み方:かわはらけいが

[1786〜?]江戸後期洋風画家。長崎の人。通称、登与助長崎出島出入り絵師となり、シーボルト依頼動植物風俗写生画を描く。シーボルト事件連座江戸長崎追放となる。


川原慶賀


川原慶賀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 06:37 UTC 版)

川原 慶賀(かわはら けいが、天明6年(1786年[1]) - 万延元年(1860年)以降)は、江戸時代後期の長崎画家である。出島出入絵師として風俗画肖像画に加え生物の詳細な写生図を描いた。(字とも)は種美、通称は登与助(とよすけ)。慶賀はである。別号に聴月楼主人。後に田口姓を名乗る。息子の川原盧谷も父に学び、洋風画を描いた。


  1. ^ 「永島キク刀自絵像」(長崎歴史文化博物館蔵、長崎県指定有形文化財)の落款と賛文に、慶賀75歳の作であることと、中島広足が万延元年(1860年)に着賛したことが記されていることから逆算。


「川原慶賀」の続きの解説一覧



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「川原慶賀」の関連用語

川原慶賀のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



川原慶賀のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
株式会社思文閣株式会社思文閣
Copyright(c)2024 SHIBUNKAKU Co., Ltd. ALL RIGHTS RESERVED.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの川原慶賀 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS