ジョン・オーリックとは? わかりやすく解説

ジョン・オーリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/22 01:38 UTC 版)

ジョン・H・オーリック

ジョン・H・オーリック: John H. Aulick、1787/1791年頃-1873年4月27日)は米英戦争から南北戦争前までのアメリカ海軍の士官。

経歴

バージニア州ウィンチェスターに生まれる。1809年11月15日に見習士官に任ぜられる。米英戦争時には、エンタープライズ(Enterprise )に乗員として、1813年9月14日の英国海軍のブリッグ、ボクサー(HMS Boxer)との海戦に参加した。戦争終結後、サラナック(Saranac )、オンタリオ(Ontario, )、ブランディワイン(Brandywine)、コンスティチューションビンセンスに勤務。

1851年から1852年まで東インド艦隊の司令官を務め、日本開国の任務を与えられたが、旗艦サスケハナの艦長と問題を起こしたため更迭され、マシュー・ペリーにその任を譲った[1])。

1861年に退役、ワシントンにて1873年4月27日に死亡。

艦名

2隻のアメリカ海軍艦艇にオーリックの名前がつけられている(クレムソン級駆逐艦DD-258およびフレッチャー級駆逐艦DD-569)。

参考

  1. ^ 『ペリーを訪ねて』、中野昌彦著、東京図書出版会、2006年4月、 ISBN 4-86223-017-2、P. 57-60


軍職
先代
フィリップ・ヴォーヒーズ
東インド艦隊司令官
第9代:1851 - 1852
次代
マシュー・ペリー




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