創立前史:大阪府立模範幼稚園とは? わかりやすく解説

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創立前史:大阪府立模範幼稚園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 07:13 UTC 版)

大阪教育大学附属幼稚園」の記事における「創立前史:大阪府立模範幼稚園」の解説

4代大阪府知事渡辺昇東京女子師範学校附属幼稚園現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)を視察し幼稚園設置必要性痛感したことが、幼稚園設立のきっかけとなっている。 開園直前1878年2月には大阪府内女性小学校教師2名を東京女子師範学校附属幼稚園保母見習生として派遣し帰阪待って開園した1879年当時大阪北区常安町(現在の北区中之島4丁目)にあった大阪府中学校1881年府立大師範学校1886年大阪府師範学校)に付設する形で、大阪府立模範幼稚園開園した保母養成のための実習園で、園児48人だった。 同幼稚園日本2番目に開設され幼稚園であり、また大阪府最初に開設され幼稚園でもある。 しかし大阪府立模範幼稚園開設後大阪府財政逼迫によりわずか4年後の1883年廃園となった財政状況加えて幼稚園設置関わる府会議員理解得られなかったことなど幼稚園教育への世間理解薄かったことも、廃園遠因となっている。 また廃園要因として、大阪府師範学校師範科(大阪教育大学前身)・中等科大阪府立北野高等学校前身)・附属裁縫場(大阪府立大手前高等学校前身)・附属小学校大阪教育大学附属天王寺小学校前身)と大阪府立模範幼稚園一つ敷地共有していたことから、過密勉学環境適さなかったことも指摘されている。 渡辺後任大阪府知事建野郷三1883年6月14日付で、大阪府立模範幼稚園廃園宣言行った廃園後は有志運営私立中幼稚園として園舎そのまま使用して運営継続し、翌1884年北区公立幼稚園西区公立幼稚園引き継がれた。

※この「創立前史:大阪府立模範幼稚園」の解説は、「大阪教育大学附属幼稚園」の解説の一部です。
「創立前史:大阪府立模範幼稚園」を含む「大阪教育大学附属幼稚園」の記事については、「大阪教育大学附属幼稚園」の概要を参照ください。

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