創立前史:大阪府立模範幼稚園
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「大阪教育大学附属幼稚園」の記事における「創立前史:大阪府立模範幼稚園」の解説
4代大阪府知事渡辺昇は東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)を視察し、幼稚園設置の必要性を痛感したことが、幼稚園設立のきっかけとなっている。 開園直前の1878年2月には大阪府内の女性小学校教師2名を東京女子師範学校附属幼稚園へ保母見習生として派遣し、帰阪を待って開園した。1879年、当時大阪北区常安町(現在の北区中之島4丁目)にあった大阪府立中学校(1881年府立大阪師範学校、1886年大阪府師範学校)に付設する形で、大阪府立模範幼稚園が開園した。保母養成のための実習園で、園児は48人だった。 同幼稚園は日本で2番目に開設された幼稚園であり、また大阪府で最初に開設された幼稚園でもある。 しかし大阪府立模範幼稚園は開設後、大阪府の財政逼迫によりわずか4年後の1883年に廃園となった。財政状況に加えて、幼稚園設置に関わる府会議員の理解が得られなかったことなど幼稚園教育への世間の理解が薄かったことも、廃園の遠因となっている。 また廃園の要因として、大阪府師範学校師範科(大阪教育大学の前身)・中等科(大阪府立北野高等学校の前身)・附属裁縫場(大阪府立大手前高等学校の前身)・附属小学校(大阪教育大学附属天王寺小学校の前身)と大阪府立模範幼稚園が一つの敷地を共有していたことから、過密で勉学環境に適さなかったことも指摘されている。 渡辺の後任の大阪府知事建野郷三は1883年6月14日付で、大阪府立模範幼稚園の廃園宣言を行った。 廃園後は有志の運営で私立中州幼稚園として園舎をそのまま使用して運営を継続し、翌1884年に北区公立幼稚園と西区公立幼稚園に引き継がれた。
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