創立初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 07:13 UTC 版)
「ショット・ミュージック」の記事における「創立初期」の解説
ショット社はベルンハルト・ショット(1748年-1809年)がマインツで起業したのがはじまりであり、創業年の1770年はベートーヴェンが生まれた年であった。本社が入居する建屋は老朽化して補修工事が行われているが、現在でも使用され続けている。出版社の創設時、マインツの町は華やかな文化的生活と活気のある宮廷教会を誇っていた。ベルンハルト・ショットは1780年に"privilegium exclusivum"(独占権限)を受けると同時に宮廷音楽彫刻師の称号を得ている。これはマインツ選帝侯領内ではショットが出版した作品を他者が再版や販売できなくなることを意味した。ショットは最初期にリトグラフの印刷技術を取り入れた出版者のひとりであり、これによって彼の版はたちまち大規模に印刷、流通していくことになる。 フランス占領下のマインツでは出版社は重税に苦しむが、フランス音楽を気取ったことがショットには有利に働いた。その結果、出版社は急速にドイツ国境を超えて成長していき、1823年にはアントウェルペンに支社を設立すると1839年にブリュッセル支社が続き、さらにライプツィヒ、ロンドン、パリ、ウィーンといった音楽の中心地に事務所を置くようになる。創業当初より最先端の音楽に傾注してきたことが会社の国際的名声を高めていた。当初の出版目録にはカール・シュターミッツやゲオルク・ヨーゼフ・フォーグラーらなどのマンハイム楽派の作品や技巧的な舞踏音楽、コミック・オペラが入っていた。モーツァルトのピアノ作品や歌劇『ドン・ジョヴァンニ』、『後宮からの誘拐』の初版を世に出したことは、初期のショット社史において見逃せない出来事である。間もなくこれに続くのがベートーヴェンの後期作品、交響曲第9番、『ミサ・ソレムニス』、最後の2つの弦楽四重奏曲などである。
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