福井店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 02:56 UTC 版)
創立初期から宮市大丸は福井市などで出張販売を展開しており、富山に続く出店先として福井市を考えていた。 そうした構想を受け、地元福井県でもかねてから近代的な百貨店の誘致を考えていた三国町の県会議員濃畑三郎、福井銀行重役森田三郎右衛門らが宮市大丸に対して福井進出を促し、森田が重役をしていた福井銀行所有の土地を百貨店建設用地として提供し、富山進出の際に発生した地元小売商の反対運動を避けるため、濃畑三郎の名義で「福屋」という名称で建築申請を行うなど宮市大丸の名前が出ないようにしていたが、1936年(昭和11年)7月頃には事実上宮市大丸であるとの噂が広まり、同月12日には反対の市民集会、15日に福井市内72の小売商組合が福井県警察部長に面会して反対の陳情を行ったが、「百貨店進出を阻止しうる根拠は何もない」「消費者階級にとつては新デパートの出現を賛成している」として18日に濃畑三郎の名義の「福屋」に許可が下りた。 以降も反対運動は続いたが、1936年(昭和11年)12月5日に開店した。 地場資本のだるま屋百貨店の建物が木造の二階建てであったのに対して、福屋はその南側に白い御影石を用いた鉄筋コンクリート造の建物としてその近代性と商品の充実振りをアピールして対抗しようとした。 1937年(昭和12年)9月に合併により宮市大丸福井店に店名変更し、その後合併で大和が誕生した際に大和福井店となった。 しかし、1948年(昭和23年)6月28日に発生した福井地震で店舗が倒壊し、そのまま閉店して撤退、同年10月9日に解体された。 跡地は進駐軍が使用し、現在は北陸銀行福井支店となっている。
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